» 2014 » 8月のブログ記事

今日製造したなまものです。

桔梗。

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じょうようまんじゅうに桔梗の花をおきました。

さらに菊も作ったのですが、写真を撮りませんでした。

いや、盆に載せたかもしれない。

和菓子屋は温度は関係なく盆が終わると秋を強要されるところがあります。

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ところで今日の朝孫たち母子が日本へ帰ってきました。

オランダへ4年?住んでいたんですが、とりあえず日本へ帰国となりました。

女将は水ようかんとかをさっそくに送りました。

息子は単身でまだしばらくはオランダです。

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その息子のフェイスブックに載ってたんですが、空港まで母子三人を送り、ところが息子すなわち一家の父親は一緒には日本に帰らないこtがわかると、子供たちは泣いたそうです。

これはとても切ない。

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嫁、母親も大変だったでしょう。

なんせ孫たちも日本人のいない学校へ行ったりとか、心細いのを癒してたのは家庭です。

このちいさな単位の、その柱の父親が一緒に日本へ帰らないのは子供にとって大事件ですよ。

まぁ、そんなことがこの一家の歴史を作っていくんでしょう。

幸あれと祈るばかりです。

盆休み二日目。

暑いので控えていた散歩をすることになりました。

一般の人には普通の日です。

通勤の車が行きかうなかで、我々夫婦がのんきに散歩してるありようはさけたいので、自転車で千代川の河川敷にある散歩ロードを自転車で行ってみるかということになりました。

以前八千代橋付近の護岸工事をやってたんでどう変わったか知りたかったこともあったんです。

でもなんにも変ってないように思えました。

それはそれとして、久しぶりの散歩です。いや、ツーリング???です。

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これ八千代橋です。

もやがかかってます。

ずっと降っていた雨で水暈も増えてた。

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豊かな流れです。

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八千代橋の下です。

この岸にも水が上がってたあとの泥がたまってるんです。

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一番下流の大橋です。

画像をクリックしてくださいね、よくわかるから。

いや、ようわからんかな。

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すぐしもの汐留ですが、なんかナイアガラを思われるような流れです。

画像をクリックですよ。

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どう?すごいでしょ。

はまったら、助からんで。

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綺麗でしょ。途中に月見草がたくさんあります。

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青空のもと海へ向かいます。

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袋川が千代川へ流入する部分です。

弊店のすぐ近くを流れる袋川がここで千代川と一緒になり、海へと流れて行くんです。

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緑が多い砂の丘です。

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海だで!

東の方ももやってる。

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女将はカニと話をしています。

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どう?いいでしょ!まだつづくで、

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ちょっと幻想的。

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そして次は境港の妖怪?

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いや、違ってた。

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女将でした。

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これはきれいな月見草。

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帰りには通勤の車が信号に従いながらたくさん先を焦ってた。

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みんな自分の家族を養うために頑張ってる。

朝の風景です。

8月も今日で20日です。

あいかわらず時の流れは休むことをせず、問答無用の流れ方です。

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ところでそんな流れの、店は休みの、その間、以前のこのブログに記した題材の川柳が浮かんで来たんです。

まずは蜩(ひぐらし)。

蜩は 夏の標識 曲がり角

川柳に季語は関係ないけど、蜩ってのは秋の季語なんですよねぇ。でも実際はほかのセミと最初から鳴いているようです。

でもそのカナカナカナは日暮れ、夏が終わるぞ、なんてそんな風情があります。

蜩が 誰に聞かすか 狂い鳴く

山に行くとたくさんの、すべて蜩といった、蜩時雨といった模様で鳴いているんです。

小さな体で目いっぱい鳴いている。

命を懸けて鳴いているんです。

雌に聞かせるためでしょうね。

必死です。

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それから迎え火を焚くのを忘れてた。

結果14日の早朝思い出して焚いたんです。

迎え火を 焚かず野宿の 仏たち

これは文字通りです。

仏たちが我が家がわからないので野宿せずにはすまなかったわけです。で、結果です。

誰一人 迎え火焚かぬ ばちあたり

と、なるわけです。

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まぁ、12日にきちんと墓参りしてるんで、仏様もガタガタいうなと、そんなふうに思います。

さらに今月のG寺の掲示板です。

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反射してて読みにくい。

父がいて 母がいて 私の番を 今生きる

と、ある。

そりゃぁ、そうだわなぁ。

儒教的でもあります。

そうなぁ、人は知らずしらずなにか大切なものを失いつつ生きているのかもしれません。

楽な道を選ぼうとするのも智慧というものかもしれません。

だが、いきいきと生きなくてはならない。

出来るだけ笑顔で暮らすことができるほうがいい。

私の番を生きるならね。

はは、かっこいいで。

和菓子屋として盆は仕事をし、その後の17日〜19日まで休みをとりました。

16日(土)には横浜よりK,佐世保よりHが鳥取へ帰って来たんです。

その前後の学年が集まって、結果10人でちゃんこ鍋をかこみました。

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先回OB会から二年七か月余日経つんです。

顧問の先生から二週間以上前に送った出欠のハガキがなかなか来ずに、その返事が来たのは当日でした。

体の具合が悪くこのハガキの投函にはだいぶ迷われたようです。

震える文字で入退院を繰り返していると記してありました。

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そりゃそうだと思うんです。

我々自体も多くが退職した身で、その年齢であれば体の調子が悪いとの理由で全員は集まりません。

二次会にも行きました。

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久しぶりにスナックへ行ったのですが、もう我々の行くところではないですよ。

なんにもないのに、もっと言えば何にも食べてないのに値段は高い。

鳥取の繁華街である弥生町もスナックの数は減るわけです。

そのぶん居酒屋が増えました。

まあ、久しぶりに先輩、後輩に会うことができました。

貴重なことです。

で、一度Kをホテルまで送ったんですが、もう一軒行ったんです。

話ていると、その店の目の前へ消防車が止まったんです。

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向かいの店がボヤでした。

そんな、なんだかんだでHは17日に、Kは昨日ANAで帰っていきました。

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弊店はきょうまで休みですが、今日どえらい暑いです。

さらに昨日の朝散歩を久しぶりに頑張りすぎたのか右目が充血してるのに夜気がつきました。

今日の菓子屋の集まりもキャンセルしておとなしくしてることになりました。

昨日は「しゃんしゃん踊り」でした。

雨乞いを発祥とする傘踊りです。

そして今日は「花火大会」で、ましてや「敗戦記念日」です。

いや最近は終戦記念日というのかな。

日本人が300万人くらいでしたか?なくなりました。

当時たしか6,000万人の人口でしたから大変な数の若い人たちが亡くなったのです。

やっぱり、日本として太平洋戦争というものをどういうことだったかと、追求せねばならないのではと思うんです。

さまざまな視点もあり、でもありのままを、むずかしいけど、こうだった。こうだった。と積み重ねて追及することが大切なんじゃないかと。和菓子屋は思うんです。

で、昨日の続きです。

葵の紋ですが、これは去年も書いていますが家康が浄土宗だったので、浄土宗の寺には葵の紋が許されるのです。

おおちだに神社は鳥取藩の池田さんが家康の孫だったかな?嫁にして、さらに「因幡東照宮」を造り、藩の安泰を策したわけです。

ちょっと言い方が粗野かな、ごめんなさい。

「おおちだに」とても好きなんですよ。

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家康の9代前かな愛知県の松平というところに時宗の坊さんがやって来たんです。

時宗とは一遍さんですよね。

やはり「南無阿弥陀仏」です。

さて、名を徳阿弥という。

この阿弥というのはたとえば観阿弥、世阿弥とあるように、人間世界の、社会の序列、地位戸かを無視して生きる人たちなんです。

将軍と同じ部屋で話もできる。

そんな社会の智慧なんでしょうか。

で、その徳阿弥さんは最初酒井さんのうちに泊まったんです。

と、ここで娘の腹を大きくしたんです。

当時よくある話らしいですがねぇ。

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次に泊まったのが松平さんちだったんですが、またここでは一人娘に子供ができちゃった。

なんということでしょうか?

仕方なしに松平さんはこの男を養子にしたわけです。

これが松平の、たとえば会津の松平容保さんの名字の発生なんです。

鳥取の池田の殿さんも松平ということが許されてたんじゃないかと、どうなんか。

その後時宗の人たちが浄土宗に含まれていったんです。

ところでこれがきっかけで酒井さんは代々老中を務める家になったそうな。

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でまぁ、家康は浄土宗となるわけですが、人間てのはなかなか簡単にはいかない。

家康が若いころ領地で一向一揆がおこるんです。

これもやはり「南無阿弥陀仏」です。

えらいことです。

家康はさっきまで家来であった、命をかけた戦場に一緒に戦った家来と敵として闘わねばならなくなったのです。

後とても親密になった本多正信もこの一人でした。

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この時家康の力となったのが「南無妙法蓮華経」の大久保家だったわけです。

なんとも、人間とはわからない。

ま、とにかく家康は天下をとって、征夷大将軍となったわけで、その天下は270年続くわけです。

いや、家康ほどの苦労はなしに、続くわけです。

我が家の菩提寺の葵の紋でした。

大きくなんと忘れてたことがあったんです。

13日に迎え火焚くのを忘れてた。

こういうことにやかましい大女将もなにも言わなかったんです。

まだ暗き14日の早朝はたと気が付いたんです。

私焚きました。

14日の5時半に。

前の豆腐屋さんが自販機でコーヒー出しながらおがらの燃える臭いを感じたのでしょう。

「おはよう。」と不思議な顔で言ってた。

ご先祖様申し訳ない。

きっと13日の夜は帰る家がわからず野宿でもされたんでようね。

ばちあたりです。

ところで8時になるとどーんと花火。

雨もやみ始まりました。

「あ、行かないけん。自転車で行かないけん。」

料理は途中ですてて花火の上がる千代川へ出かけました。

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昨日は「さやんしゃん祭り」で私は夕飯のでっかいお好み焼きを造り、さて今日は女将は料理途中で千代川へ。

でもね、この花火の打ちあげる連続の音のなかで、玄関のチャイムを押すやつがいる。

佐川急便の若者でした。

「まだ仕事か?」

「はい、でも。まだあります。」

ねぇ!

誰にも文句いっちゃぁいけませんて!

なにごとも南無阿弥陀仏か?

南無妙法蓮華経か?

酔った。

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