今日は師走の土曜日。仕事は去年よりもいまのところ、せっぱつまってない。と、思う。ただし我々は去年より一年歳とってる。さらに、今年は老々介護に加えて女将の父親の葬儀もあった。去年より比べると仕事上少し余裕があって幸いした、というとこですよ。
急遽個人的な年賀状は中止で、年賀用切手は返品というか、女将はそうしたのに違いない。そして「喪中につき云々」の葉書を急ぎ出した。
でも、店の年賀状は出さねばならないだろう。で、いつものように文章を載せねばならないと、頭をひねるが、どうも、いけん。
和菓子教室も中止したのに、その葉書も未だ出してない。
なにか、ごっついたいぎいのだ。
去年に比べると、朝の散歩もしない。そうだ、風呂上がりのスクワットもやってない。なんか余裕がない。
ちょっと待て・・・・。
これは、この今日の書き方は、泣き言ではないか!
気を変えよう。
昨日も店に顔を見せたがジャマイカから来てる若い女性英語教師。すぐ近くの西中、そして、醇風小学校でも教えてるというのだが、この若い教師と少し知り合いになっている。
ひょっとして、ワシ Englishをspeak できるようになるかもしれない。
今日鳥取は雪が時々降っていました。
さて本題です。
ながい間かかって読んだんです。
「日本のいちばん長い日」ですよ。半藤一利さんの書いたものです。なんせおこもり部屋でしか読まないので長くかかるんです。で、その前に「日本国の憲法の二〇〇日」を読んでるんで、さらにまたその前に「あの戦争と日本人」を読んだんです。順序が逆だけどもねぇ。
だが、皆目記憶に残ってないんです。いや、ちょっとはある。GHQの力。日本の首脳のバカらしさ。さらにはジャーナリストの不甲斐なさ。なんなんでしょう?幕末から明治のころの人たちは、もっとしっかりしてたんじゃないのかなと思うんです。
日本国憲法が出来るまでの様子。GHQの力。マッカーサーの思い。この辺りは皆さんに読んでもらいたい。原爆が使われたいきさつ。なんともです。さらに玉音放送が流される前の8月15日に至る14日からの息詰まる一日。「日本のいちばん長い日」は映画にもなってますよ。阿南陸軍大臣には役所広司さんが扮してました。15日に腹を切るわけです。
私は戦後生まれなので実際の戦争中の事とかを知りませんが、それでも、占領されたのがソ連でなくてよかったとは思いますって。
ひょっとしたら、北海道、東北はソ連の統治になっていたかもしれない。鳥取はイギリスの管轄かな。思えば爺さんがいってたが、インド人が駐留してたとのこと。なるほど、と思う。
何が左翼で、なにが右翼かは知らんが、当時GHQがこれは役に立つと考えたその連中は、本来東京裁判にかけられることを免除されたみたいだ。いつの世にも世渡りのうまい奴がいるもんです。
だが、一番の問題は、日本人がなんで、あの戦争に踏み込んでいったのか?ということです。さらに、戦後すぐにアメリカナイズされたのはなんだったのか?とも思う。だって、原爆にしても各地の無差別爆撃にしても、もっと腹をたってもいいのではと思うんです。
日本の我々が、あれは、なんだったのかとしっかり考えぬと、また、同じように破滅的な戦争に巻き込まれてしまうのではないかと心配するんです。