» 我々の国のブログ記事

いま司馬遼太郎さんの「この国のかたち」の文庫本を読んでるんです。

けっこう、これ昔に読んだで、といった文章も出てくる。

が、どうも昔読んだのと、今回読んだのとでは、印象が違うんです。

今回のほうが重い。

さて、招魂社です。IMG_5056

一言でいえば靖国神社なんです。

安倍総理が参拝したと、中韓が「けしからん。」と伝えてきます。

まぁ、政治的なことはここでは他へおきます。

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知っている人もたくさんいるとは思うのですが、しかし、我々は学校で習ったのか?そうでないのか。

覚えてない。

で、歴史です。

1868年、これって慶応四年でもあり、明治元年でもあるんです。

この年に戊辰戦争がはじまり、官軍方と徳川幕府方が争うわけですよねぇ。

新撰組も先頭を走ってた。

で、勝ったのは官軍です。

両方たくさんの死者をだしたわけですが、負けたほうは、残念ながらさておいて、勝てば官軍のほうです。

これって各藩の連中ですよ。それも旧各藩の思いを抱いて死んでいったわけです。

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ここで、明治の新国家の考え方がでてくるわけで、これは封建時代の各藩ではなく、藩を越えた新国家のために戦死したのだと、まとめて、そう、国民として葬る招魂社が明治二年に東京の九段に出来るんです。

社会的価値観の大転換ですよ、これは。

これを発議したのは大村益次郎です。

そう、その前の名は村田蔵六です。長州の農民身分の医者です。

大阪の適塾の塾頭も勤めた、さらに幕府の長州征伐をしたとき、これをことごとく破ったのはこの人の作戦でした。

医者だのに兵学というか、軍学にすぐれてたんですねぇ。

さらに豆腐が好きで、湯豆腐かな、しょっちゅう食べてたそうです。

イソフラボンは頭をよくするのかもしれない。

愛想がなかったようです。

だから、暗殺されたのかもしれません。

どうも犯人は薩摩のKですよ。

この馬鹿が、私の名前と音が同じノブヨシなんですよ。

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戊辰の役でも作戦を立てます。

それも優秀なものですよ。

あ、そうだ、招魂者です。

その日本の軍隊も武士ではなく四民による志願制の国軍を考えた人です。

こりゃぁ、時の武士連中には腹のたつことですよ。

だって、自らの立場を否定されるわけですから。

でも長州ではとっくにそうなってた。

奇兵隊ですよ。

高杉晋作の奇兵隊です。

変わった集まりの兵だから、奇兵隊。

当時、隊などとは言わなかったようです。

戦う組織は組と言った。

「鬼の平蔵」長谷川平蔵も徒歩組?馬回り組?そんなんだったと思う。

奇兵隊は長州の武士連中を簡単にやっつけてしまいます。

それが益次郎さんの頭の中で日本にも同じ考え方が広がるわけで、官軍の死者を慰めるのに藩をこえて超宗教の形式をとった招魂者を作ったんです。

統一国家を意識したんでしょうねぇ。IMG_5064

ここまではよかったんです。

明治十二年この招魂者が神道によって祭祀される靖国神社となるんですよねぇ。

なんで?

これが日本だから?

このあたり難しいですよ。

太平洋戦争のときに南方に行ってた兵隊さんが飢えてたとき、弱った兵隊が「おれが死んだら、俺を食べてくれ。そうすればおれは故国へ、日本に帰れるから。」と、そんなこともあったようです。

神道は宗教?鳥居があって、神がいて、いや、でもなぁ。

文化?宗教だでなぁ。

初詣するのは?松飾は?

おみくじ引くのは?

ようわからんが、招魂社でした。

言葉ですが、司馬遼太郎さんが残した言葉です。

「国家とは国民の誇りと希望の源泉である。」とな。

「国家が今世紀の歴史段階においては最大の価値であり、かつ、贅沢なものである。」

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なんか興奮しません?

教えてもらって、ほんとにありがとう。

と、いった感じがするんです。

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なんか、問題意識を持ってないと今有る大切な物をなくしてしまうのかも、いや、無くしてしまうのですよ。

我々一人一人がいい人でも、それより悪いやつが、というより欲の深いやつがいる。

金銭欲、権力欲、びっくりするくらいそんな人がいたりします。

それも身近に。

決してその人は「私は権力を欲している。」などとは云わない。

まわりの多くは控えめの人だのにねぇ。

二代徳川将軍秀忠の嫁、お江さんのことだったですよね。

で、秀忠が内緒で側室を作るんですが、これを察知したお江さん、いや、お江与の方は、ここに出来た子供を殺そうと考えるんです。

この側室はお静さんというのですが、結局お静さんの一族はお江与の方の恨みを恐れて腹の子供をおろしてしまうんです。

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だが秀忠は頑張った。

また内緒でお静さんとの間に子供が出来たんです。

この男の子を今度は何とか守ろうと考えた人々がいたんですよ。

で、この男の子が、保科正之というのですが、初代の会津藩23万石の藩主なんです。

幕末京都の守護職を受ける藩ですよ。

こんなの書き出すときりがないで。

そうもとにもどると、加賀の前田家だで。

利常の子供は光高というんですが、この人はとても文武両道にすぐれた人だったようです。

一生懸命すぎたのでしょうか、若くして亡くなります。31歳ですよ。

どうも心筋梗塞のようです。

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ものすごく落胆したのは利常ですよ。

でもまぁたくさんの、家来の生活もかかっているわけで、もう一度元気をだして、孫の綱紀に期待をかけて、教育をしていくわけです。

この綱紀は名君といわれた人です。

保科正之の影響を受けながら、あ、保科家は表高23万石ですが実際には40万石あったのではないかといわれます。君臣一緒に生活を向上させていきました。

綱紀も同様に加賀の国をまとめたのです。

あの新井白石も加賀藩の政治をほめているんですよ。

そう、徳川将軍家は加賀藩の綱紀までの間には、ここも大変。

ちょっと記すと、まず家康だで、次に秀忠。そして保科正之の兄にあたる、日光東照宮を作った家光。

その子家綱。その弟の綱吉。生類憐みの令をだした人だで。

家宣、家継、そして、紀伊から来たあの吉宗となるわけで、ここも大変。

あたりまえが、あたりまえでないんです。

そうそう、綱紀の娘が確か因幡池田家へ嫁いでいると思います。

池田家も30万石であり大きな大名ですよ。

あ、ここもけっこう大変で、殿さんが続かない。

若くしてなくなったり、で、養子を迎えたりと、大変です。

幕末にはあの最後の将軍慶喜のお兄ちゃんが藩主でした。

でもたしか官軍方でした。

尾張もそうだったと思う。

あ、風呂にはいるから、続く、かな。とりとめがない。

今日焼きまんじゅう280個。

これはかなり手のかかる商品なんですが、このうち八十数個が失敗!

ほんとになんとも、です。

こんな失敗はかなり昔でないと、これほどのものはない。

師走だのになぁ。

ああ、あぁ、嘆息しかない。

そうなったものは、そうなっただけだ!くそ!!!

と、居直るのだ。

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ところで秘密保護法案のことがテレビ、新聞に載ってますが、よくわからない。

なんだか反対の意見が、いや、私のところは朝日新聞をとってるんですが、新聞紙上はものすごい反対です。

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なんかなぁ、鳥取選出の石破茂さんも反対のデモにテロと言葉を使ってこれも大騒ぎ。

なんかきちんと情報を流してほしいんです。テレビ、新聞そのほかの人たち。

それと、国防ということなんでしょうが、自分の国は自分で守ろうとするのが当たり前だと思うんで、次にアメリカとの同盟があるんです。

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これまで日本という国は国民一人一人がよく考えて物事を処理してきたのかと疑問に思う。

誰かがやってくれると思ってるんじゃないかと思うんです。

まず太平洋戦争の敗北についての連合国の裁判。

これはこれなんでしょうが、日本人として、あの戦争はなんだったのかという事を考えるべきだと思うんです。

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以前よりはそうではなくなりましたが、自衛隊を信用してない日本人は多かった。

これはきっとかっての軍部に繋がっている印象があったのでしょう。

そして、政治家も信用されていない。

福島原発の事故のときはあまりにお粗末な対応でした。

官房長官のテレビでのインフォメーションを聞いていて、これはひどいありようだと感じました。

後、分かったのは放射能の流れを予測するスピーディで分かっていながらですよ。

放射能の濃いところに非難した人たちがいたんですよねぇ。

ひどい話です。

案の定でした。

ところがアメリカに対しては情報を伝えていたとのことです。

日本人が日本の政治家を信用できないなんてなさけない。

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さて、現総理はその職務に命をかけているようです。

そんな感じがするんです。

だが、どうなんだ?

わけくそわからんままに、たとえばブログ書いて、画像載せて犯罪人にはなりたくないぞ。

今日から、そう、師走です。

勝手に歳をとらされる。なんとも。

朝が明けるのが遅いので朝の散歩に行けない。で、休みの日くらいはと出かけるのです。

空気冷たいいい天気だった。

そして博物館へ行ってきた。

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久しぶりですよ、ここも。

幕末の事件を扱ってたんで、訪れるつもりだったんです。

そしたら、いやぁ、そしたら、なんと本物のゲベール銃が置いてあって、それをつついてもいいとのこと。

「え?うそ!?ほんとで?」

信じられない。

個人所有のものだそうで、とても綺麗で手入れもしてある。

なんせ撃鉄を引いて引きがねをひくと撃鉄がおちるんです。

とても大事にしてることが分かるんです。

幕末日本に入ってきた初期の洋式銃です。

いやぁ、本物を持てるとは思わなかった。

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思わぬことでした。

さらに展示品にミニエー銃もありました。

ガラスの向こうに鉛の弾丸と一緒に陳列してありました。

歴史小説で何度も登場した銃ですよ。

ちょっとばかり、いや、けっこうテンションがあがりました。

さらにとほうもなく長く大きな刀もありました。

土佐の連中が使ってたものを真似たんでしょうか?

この因幡の藩士も。

そんな生々しい展示品でした。

いやいや、そしてこの銃はその前にアメリカの南北戦争で使われたものですよ、きっと。

そんな、なんともいえぬ、歴史?‥‥がこもってる。

と、感じたんです。

うん。

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