二代徳川将軍秀忠の嫁、お江さんのことだったですよね。

で、秀忠が内緒で側室を作るんですが、これを察知したお江さん、いや、お江与の方は、ここに出来た子供を殺そうと考えるんです。

この側室はお静さんというのですが、結局お静さんの一族はお江与の方の恨みを恐れて腹の子供をおろしてしまうんです。

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だが秀忠は頑張った。

また内緒でお静さんとの間に子供が出来たんです。

この男の子を今度は何とか守ろうと考えた人々がいたんですよ。

で、この男の子が、保科正之というのですが、初代の会津藩23万石の藩主なんです。

幕末京都の守護職を受ける藩ですよ。

こんなの書き出すときりがないで。

そうもとにもどると、加賀の前田家だで。

利常の子供は光高というんですが、この人はとても文武両道にすぐれた人だったようです。

一生懸命すぎたのでしょうか、若くして亡くなります。31歳ですよ。

どうも心筋梗塞のようです。

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ものすごく落胆したのは利常ですよ。

でもまぁたくさんの、家来の生活もかかっているわけで、もう一度元気をだして、孫の綱紀に期待をかけて、教育をしていくわけです。

この綱紀は名君といわれた人です。

保科正之の影響を受けながら、あ、保科家は表高23万石ですが実際には40万石あったのではないかといわれます。君臣一緒に生活を向上させていきました。

綱紀も同様に加賀の国をまとめたのです。

あの新井白石も加賀藩の政治をほめているんですよ。

そう、徳川将軍家は加賀藩の綱紀までの間には、ここも大変。

ちょっと記すと、まず家康だで、次に秀忠。そして保科正之の兄にあたる、日光東照宮を作った家光。

その子家綱。その弟の綱吉。生類憐みの令をだした人だで。

家宣、家継、そして、紀伊から来たあの吉宗となるわけで、ここも大変。

あたりまえが、あたりまえでないんです。

そうそう、綱紀の娘が確か因幡池田家へ嫁いでいると思います。

池田家も30万石であり大きな大名ですよ。

あ、ここもけっこう大変で、殿さんが続かない。

若くしてなくなったり、で、養子を迎えたりと、大変です。

幕末にはあの最後の将軍慶喜のお兄ちゃんが藩主でした。

でもたしか官軍方でした。

尾張もそうだったと思う。

あ、風呂にはいるから、続く、かな。とりとめがない。

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