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弊店の位置する寿町は古い街です。

江戸時代には鋳物師がたくさん住んでいて鋳物師町(いもじまち)といってました。

すぐ近くの昭和29年(?)につくられた橋は鋳物師橋と、いまだに当時の名前が残っています。

戦後団塊の世代といわれる子供たちがたくさんいたのですが、それもいまやじいさん、ばあさんになって若い人はほとんど町内には住んでいないという、年寄の静かな町になっています。

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あ、画像と我が町内とは関係ありませんよ。

画像は配達に行った時の駅前の風景です。

で、弊店のすぐ前の家のおばあさんの葬儀が今日あったんです。

95歳で亡くなりました。

95歳ですよ。たいしたもんです。

亡くなったのは昨日で、葬儀社の車が来たりして、「あ、ひょっとしたら?たぶんそうだ。」と弊店の皆がおもってたんですよ。

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こういうことは結構近所というのはわかるもので、昨日のこと、亡くなったそのおばあさんの隣の一人住まいのおばあさんが弊店に、久しぶりに来店したんです。

お菓子を購入しに来たんではないんです。

要は亡くたったことを確かめに、また、なんなのか、なんかを確かめに弊店の大女将のところへ来てたんですよ。

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その時の言葉がすごいんです。

「Hさん亡くなったんですってねぇ。まだ若いのにねぇ。私より三つ若いんだが。」

とのこと。

耳も、眼も、さらに弊店のレシートを集めれば割引になるというその金額も間違いなく計算できるおばあさんなんです。

どうですか?

元気ですよ。

冬の間は朝が遅いんです。

とてもこの暗い中で散歩する気持ちにはなれません。

もっとも世の中例外というものがかならずありまして、暗い中で鼻息荒くランニングしている男性もいたりしますが、暗闇から、先に鼻息が聞こえてきて、さらにその姿が、こちらがいるのとは関係なく、走ってくるんで、いやぁ、びっくりして、さらには、気持ちが悪いんです。

ま、それも25日の日曜日であれば帰りが遅くなってもかまわない。

で、久しぶりの朝散歩でした。

G寺の掲示板です。

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「毎歳が 生まれて 初めての歳」

とある。

「毎年」が「毎歳」とあるのがミソかな。

ま、ちょっと、もっと、突いてほしいかな、と思うんですが、どうですか。

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年賀状には新春を喜びなどと春になっているのですが、千代川周辺では、現実には冬ですよ。

そういえば今日も雪が降っていた。

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スカイラインだで。

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で、我が町の寿公園での夏みかんです。

成り年か?実が多いんです。

さぁ、今年もこれをいただいて、ピール、そして、マーマレードを作れるかな?

NHKニュースで「いしうら」が十両に上がったとのこと。

城北高校の出身であり、石浦監督の、そして「ちゃんこ石浦」の息子。

監督夫婦が画面に出てた、

嬉しいだろうなぁ。

昨日のブログに続いて昨日の日曜日の出来事です。

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昨日は朝から突き抜けるような青空でした。

寿町二区町内の一斉清掃で寿公園の掃除が終わり、家へ帰ってさぁ朝ごはんという時に、そう、8時半ごろかな。

この時間、季節がら朝日も遅くなり、まだまだ低いところからの斜めの朝日。

リビングからガラス戸をみると、、、蛙!

朝日をあびて網戸をかなり上っているんです。

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最近蛙の鳴き声が聞こえてた。

たぶんその声の主だろう。

外に出てまた写真。

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ちいさな蛙です。

サシをあててみると体は3センチ。

それに足も3センチほど。

この蛙すぐ近くの袋川から来たに違いない。

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「もなか」もこの蛙を発見。

この3センチの体でここまでよく来たと思う。

Googleの地図で距離を測ると99メートルと出る。

アスファルトの上を来たのか、大変な距離だと思うんです。

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一匹しか見えない。

相棒はいないのかと不安に思うんです。

たいした蛙ですよ。

素直に生きようとして生きてる。

昨日は「しゃんしゃん踊り」でした。

雨乞いを発祥とする傘踊りです。

そして今日は「花火大会」で、ましてや「敗戦記念日」です。

いや最近は終戦記念日というのかな。

日本人が300万人くらいでしたか?なくなりました。

当時たしか6,000万人の人口でしたから大変な数の若い人たちが亡くなったのです。

やっぱり、日本として太平洋戦争というものをどういうことだったかと、追求せねばならないのではと思うんです。

さまざまな視点もあり、でもありのままを、むずかしいけど、こうだった。こうだった。と積み重ねて追及することが大切なんじゃないかと。和菓子屋は思うんです。

で、昨日の続きです。

葵の紋ですが、これは去年も書いていますが家康が浄土宗だったので、浄土宗の寺には葵の紋が許されるのです。

おおちだに神社は鳥取藩の池田さんが家康の孫だったかな?嫁にして、さらに「因幡東照宮」を造り、藩の安泰を策したわけです。

ちょっと言い方が粗野かな、ごめんなさい。

「おおちだに」とても好きなんですよ。

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家康の9代前かな愛知県の松平というところに時宗の坊さんがやって来たんです。

時宗とは一遍さんですよね。

やはり「南無阿弥陀仏」です。

さて、名を徳阿弥という。

この阿弥というのはたとえば観阿弥、世阿弥とあるように、人間世界の、社会の序列、地位戸かを無視して生きる人たちなんです。

将軍と同じ部屋で話もできる。

そんな社会の智慧なんでしょうか。

で、その徳阿弥さんは最初酒井さんのうちに泊まったんです。

と、ここで娘の腹を大きくしたんです。

当時よくある話らしいですがねぇ。

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次に泊まったのが松平さんちだったんですが、またここでは一人娘に子供ができちゃった。

なんということでしょうか?

仕方なしに松平さんはこの男を養子にしたわけです。

これが松平の、たとえば会津の松平容保さんの名字の発生なんです。

鳥取の池田の殿さんも松平ということが許されてたんじゃないかと、どうなんか。

その後時宗の人たちが浄土宗に含まれていったんです。

ところでこれがきっかけで酒井さんは代々老中を務める家になったそうな。

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でまぁ、家康は浄土宗となるわけですが、人間てのはなかなか簡単にはいかない。

家康が若いころ領地で一向一揆がおこるんです。

これもやはり「南無阿弥陀仏」です。

えらいことです。

家康はさっきまで家来であった、命をかけた戦場に一緒に戦った家来と敵として闘わねばならなくなったのです。

後とても親密になった本多正信もこの一人でした。

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この時家康の力となったのが「南無妙法蓮華経」の大久保家だったわけです。

なんとも、人間とはわからない。

ま、とにかく家康は天下をとって、征夷大将軍となったわけで、その天下は270年続くわけです。

いや、家康ほどの苦労はなしに、続くわけです。

我が家の菩提寺の葵の紋でした。

大きくなんと忘れてたことがあったんです。

13日に迎え火焚くのを忘れてた。

こういうことにやかましい大女将もなにも言わなかったんです。

まだ暗き14日の早朝はたと気が付いたんです。

私焚きました。

14日の5時半に。

前の豆腐屋さんが自販機でコーヒー出しながらおがらの燃える臭いを感じたのでしょう。

「おはよう。」と不思議な顔で言ってた。

ご先祖様申し訳ない。

きっと13日の夜は帰る家がわからず野宿でもされたんでようね。

ばちあたりです。

ところで8時になるとどーんと花火。

雨もやみ始まりました。

「あ、行かないけん。自転車で行かないけん。」

料理は途中ですてて花火の上がる千代川へ出かけました。

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昨日は「さやんしゃん祭り」で私は夕飯のでっかいお好み焼きを造り、さて今日は女将は料理途中で千代川へ。

でもね、この花火の打ちあげる連続の音のなかで、玄関のチャイムを押すやつがいる。

佐川急便の若者でした。

「まだ仕事か?」

「はい、でも。まだあります。」

ねぇ!

誰にも文句いっちゃぁいけませんて!

なにごとも南無阿弥陀仏か?

南無妙法蓮華経か?

酔った。

今19日の朝、まだ開店前です。

散歩の久松山から帰り工場でブラインドを開けたりしていたら、先に家にはいった女将が駆けつけてきて

「知らん人がリビングにねとる!」

急いでリビングへはいるとソファにバンドを解いた、ちょうど四代目くらいの年頃の男が寝ているんです。

酒臭い。

ワシの枕でよく寝てる。

「110番へ掛ける。」べく、電話をとって、

ところが女将が「四代目の知り合いかもしれんで。」と言うもので四代目へ打診。

だが電話の向こうで四代目は知らんというし、こりゃぁ警察だとばかりに、電話かけかけると、当の男は少し目を開けて「なんだぁ?」といった表情。

で、私の尋問が始まるのですが、

この男首から、ほら、よく会社員なんかが名前をかいた、そんなのぶらさげてるんです。

それを手にとってみると[Tottori Porice]と書いて鳥取県のマークがはいってる。

なんのことはない刑事が自分の家と間違えて玄関からはいり、我が家と思ってソファにどうどうと寝ていたわけです。

免許書を出させて名前をメモして、

「パトカーをもう少しで呼ぶところだったで、よかったなぁ。タクシー呼ぼうか?」

「いや、外に出てからひろいます。」

そのまま玄関へでていきました。

事がはっきりわかってくると、びっくりしたんでしょうねぇ、バンドも緩めたままで出ていきました。

あとで、免許書から書き写した住所とかをあらためて見直すと、なんと、歳はちがうものの、女将と同じ誕生日でした。

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