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世の中で社会的地位というものがあります。

私自身若いとき、そんな地位の人は、んん、〇〇協会の会長とか、△△の社長とか、まぁ、偉いと思ってた。

だが、ぜんぜん違う。情けないほどに違う。

もちろん全部とはいわんでが、歳とってわかってきた。

人は、社会的な風聞とは違い自分で判断せねばいけません。

云っとくで。

さて「おいり」が始まっていて、新しいパートさんが「ブログ面白いです。」というので、

「いやぁ、今は加賀前田家のことをかいててなぁ、当時刑罰もすごいだが。□△○〆ж#でなぁ。」

と、はなしていたら、その残酷さに女将が

「そんな気持ちの悪いこといんさるな!」と吼えた。

どうする?

ブログに書く?

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いや、まぁ、たとえば、藩主というのは、その思いは法律そのものともいえるわけですよ。

利長は側室が浮気したので、その側室と側室の世話をしていた複数の奥女中というか、斬首よりも残酷に処断したんです。

さらに利常も愛する正室が、この正室はお江さんの、秀忠の娘で、三歳で嫁入りしたのかな、大切にしていたんです。

が、一緒に来た乳母が徳川の威勢をかさにきて結果的にこの正室を苦しめることになったんですが、これを知った利常は秘密裏にこの乳母のお豊を処分するんです。

これがすごいやりかた。

まぁ、作者もこのすごさになにか思ったのでしょう。作中にその幽霊を登場させます。

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そんな、いろいろで、そう、最初何を書こうとしてたのか?忘れました。

でも利常のいい面も載せるで。

三代目の利常が他の大名から教えられたことですが、いい言葉も作者は載せています。

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「老驥櫪に伏すも志は千里に在り 烈士暮年 荘心已まず」

「ろうきれきにふすもこころざしはせんりにあり れっしぼねんそうしんやまず」と読むそうです。

意味は老馬が厩に伏すも志は千里にあり 烈士齢をとってもその思いはやまない。

駿馬は老いて厩に伏したとて、志は千里のかなたを駆け巡る。ということでしょう。

おら、かっこいい!

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あなたありますか?こんな思いが、必死さが。

百万石のしんどさがわかりますか?

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ワシ、せいぜい仕事しながら前向きに倒れたいと、昔、言ったくらいかな?

今になれば、体が云うこと利かんで。

駿馬じゃないが、もう厩に伏してるで。

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テレビニュース、いま楽天の田中投手はヤンキースに移るのに161億円だと!

また金かいや。

かなわんなぁ。

二代徳川将軍秀忠の嫁、お江さんのことだったですよね。

で、秀忠が内緒で側室を作るんですが、これを察知したお江さん、いや、お江与の方は、ここに出来た子供を殺そうと考えるんです。

この側室はお静さんというのですが、結局お静さんの一族はお江与の方の恨みを恐れて腹の子供をおろしてしまうんです。

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だが秀忠は頑張った。

また内緒でお静さんとの間に子供が出来たんです。

この男の子を今度は何とか守ろうと考えた人々がいたんですよ。

で、この男の子が、保科正之というのですが、初代の会津藩23万石の藩主なんです。

幕末京都の守護職を受ける藩ですよ。

こんなの書き出すときりがないで。

そうもとにもどると、加賀の前田家だで。

利常の子供は光高というんですが、この人はとても文武両道にすぐれた人だったようです。

一生懸命すぎたのでしょうか、若くして亡くなります。31歳ですよ。

どうも心筋梗塞のようです。

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ものすごく落胆したのは利常ですよ。

でもまぁたくさんの、家来の生活もかかっているわけで、もう一度元気をだして、孫の綱紀に期待をかけて、教育をしていくわけです。

この綱紀は名君といわれた人です。

保科正之の影響を受けながら、あ、保科家は表高23万石ですが実際には40万石あったのではないかといわれます。君臣一緒に生活を向上させていきました。

綱紀も同様に加賀の国をまとめたのです。

あの新井白石も加賀藩の政治をほめているんですよ。

そう、徳川将軍家は加賀藩の綱紀までの間には、ここも大変。

ちょっと記すと、まず家康だで、次に秀忠。そして保科正之の兄にあたる、日光東照宮を作った家光。

その子家綱。その弟の綱吉。生類憐みの令をだした人だで。

家宣、家継、そして、紀伊から来たあの吉宗となるわけで、ここも大変。

あたりまえが、あたりまえでないんです。

そうそう、綱紀の娘が確か因幡池田家へ嫁いでいると思います。

池田家も30万石であり大きな大名ですよ。

あ、ここもけっこう大変で、殿さんが続かない。

若くしてなくなったり、で、養子を迎えたりと、大変です。

幕末にはあの最後の将軍慶喜のお兄ちゃんが藩主でした。

でもたしか官軍方でした。

尾張もそうだったと思う。

あ、風呂にはいるから、続く、かな。とりとめがない。

このまえ中村彰彦さんの本読み終えました。

以前から購入してて棚においてたものです。

加賀前田家の物語です。

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前田家の藩主を順番に記すと。まず利家、そしてその長男の利長。

次が利長の腹違いの利常、若くして亡くなった光高なんですがこの人は藩主にはなってないかもしれない。

次が綱紀、まあここまでが物語ですが、一応もう一人登場するのが吉治。

なんか加賀の前田というと加賀百万石といわれるほどに大変な大名です。

なんの不安も憂いもない。と我々は思っちゃう。

が、これが違うんですよ。

徳川将軍家に大変に気を使う。

そりゃあそうだわなぁ、二代将軍の秀忠、さらにその息子の家光は大名を潰す、潰す。

大きな物では加藤家、福島家。これはかっての豊臣の関係の外様大名ですが、いやぁ、この二人の将軍は息子だろうが、兄弟だろうが潰すんです。

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みんな気を使わざるをえません。

で、前田さんは将軍家と姻戚関係になるんです。

それでも気を使う。

長くなるで、どうしよう?

短くするで。

有名な話に三代目の利常なんかはわざと鼻毛を伸ばしたんです。

これは馬鹿に見えるようにです。

さらに江戸城の廊下に小便もしたし、老中にふぐりも見せた。

どれも将軍家には敵意をもってないとの証明なんです。

いやぁ書ききれんで。読んでよ、これ。

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さらに将軍家も大変ですよ。

男の子ができないとか、夭折するとか、天下をとってもままならぬ。

前田家の綱紀さんまでの時代で、将軍家はまず初代の家康ですわねぇ。

次が秀忠さんですが、この人はかわいそうですよ。

嫁が信長の姪、淀君の妹で、お江与の方、お江さんです。

秀忠よりも6歳年上で二度嫁いでるし、子供も確か作ってると思う。

さらに嫉妬深い女なんです。

結局きちんと側室を作ることが出来なんだ。

この当時は側室は当たり前だのに。

続く。です。めしだ。

カレンダーでいうともう冬なんでしょうが、昨日久松山へ行ってみると、案の定いい色をしていました。

去年も同じところに行きました。

そう、鳥取城跡の天球丸の紅葉です。

高校の頃ここでもクラブのトレーニングをしていました。

さらに女将とデートもしたことがあるところです。

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画像はその手前二の丸からの上がり口です。

かなり昔から石垣の修復工事が行われているんです。

石の一個一個ごとに記号が付けてある。

どえらいパズルのような大変な作業、辛抱の工事です。

で、今はやはり二の丸の桂蔵坊の鳥居をくぐって、社の横の石段を上がっていくんです。

すぐのところなんですが、いまや私たち夫婦には息が切れる。

ま、すぐに天球丸です。

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ほらね、綺麗です。

これがやはり陽があるときのほうが色が映えます。

と?熊?

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熊は笑うはずないでなぁ。

じゃぁ笑う般若か?

なんて、こんなこといってると殺されるで。

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40年前にデートしたんです。

この天球丸で。

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この時期だけここの紅葉が輝くんです。

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女将はずっと輝いています。

ほんとです、うん。あぁ。うん。

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ここは特等席です。

で、このあと博物館へ行ったんです。

で、そこでゲベール銃を手にとった。

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なんか興奮しました。

だって、幕末の頃誰かがこれを手にしたんです。

命を懸けてですよ。

その前はたぶんアメリカの人がそうだった。

南北戦争ですよ。

なんか、歴史の流れに手を浸したような、そんな感じがしたんです。

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なんかこの日はゲベール銃で満足?いや、女将とのデートもあいまってすばらしい休日となりました。

ほんとです。

今日から、そう、師走です。

勝手に歳をとらされる。なんとも。

朝が明けるのが遅いので朝の散歩に行けない。で、休みの日くらいはと出かけるのです。

空気冷たいいい天気だった。

そして博物館へ行ってきた。

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久しぶりですよ、ここも。

幕末の事件を扱ってたんで、訪れるつもりだったんです。

そしたら、いやぁ、そしたら、なんと本物のゲベール銃が置いてあって、それをつついてもいいとのこと。

「え?うそ!?ほんとで?」

信じられない。

個人所有のものだそうで、とても綺麗で手入れもしてある。

なんせ撃鉄を引いて引きがねをひくと撃鉄がおちるんです。

とても大事にしてることが分かるんです。

幕末日本に入ってきた初期の洋式銃です。

いやぁ、本物を持てるとは思わなかった。

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思わぬことでした。

さらに展示品にミニエー銃もありました。

ガラスの向こうに鉛の弾丸と一緒に陳列してありました。

歴史小説で何度も登場した銃ですよ。

ちょっとばかり、いや、けっこうテンションがあがりました。

さらにとほうもなく長く大きな刀もありました。

土佐の連中が使ってたものを真似たんでしょうか?

この因幡の藩士も。

そんな生々しい展示品でした。

いやいや、そしてこの銃はその前にアメリカの南北戦争で使われたものですよ、きっと。

そんな、なんともいえぬ、歴史?‥‥がこもってる。

と、感じたんです。

うん。

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