» 昔のことのブログ記事

いや、ブログ書こうかと、炬燵の上のパソコンを開きかけたら、女将がリモコンをつついた。

テレビでは「ローカル路線のバスの旅」が現れた。

DSC_0001

数少なくなった認めれる番組の一つです。

ああそうかと、見るともなしに目をやれば、野辺地と言ってる。

DSC_0002

さらに、陸奥と言ってる。

おぅ!野辺地か!おぅおぅ!陸奥だがなぁ!

はは、元気になりますよ。ほんと。

DSC_0003

五十年近く前にインターハイで行ったところですよ。

陸奥湾で漕いだ。

開会式も陸奥だった。

地元の女子高校生がプラカード持って行進したんですが、いまや、その女の子の顔も一切覚えてないんですが、もう、我々と同じに、人生色々越えておばあさんになっているんだろうと思います。

東北弁と鳥取弁の、でも若いから、共通弁が基本の交流でした。

昔だわなぁ。

DSC_0009

でも、おぅ、色んなことが浮かんできて、元気になったで!

さらに、女将が秋刀魚を焼いてくれて、焼きたてを食べた。

それもプレゼントでもらった地酒の純米酒を飲みながらだで!

美味くないはずがない!

なぁ!?

うまいで。

DSC_0013

いろんなことがあるけど、なんていえばいいのか?

(この画像は千代川の朝焼けですよ、夕焼けじゃない。)

DSC_0018

なぁ?

画像は25日じゃなく21日のものです。

もちろん千代川です。

というより秋の空だで。

IMG_3314

さあ、まだ開けやらぬ朝、寿町です。

IMG_3315

小さな和菓子屋の母屋の玄関が開き、因幡らしい女性が現れました。

いつもの朝散歩に出かけようと靴の紐を結んで、気持ちはもう千代川の河川敷へとんでいるようです。

IMG_3317

月もまだ姿を消していない。

IMG_3319

と、画像に関してはコメントは終わりです。

千代川へ行って帰って来たと承知してください。

IMG_3320

で、表題の「知らなかったこと」なんです。

なが~いあいだ読んでいる「翔ぶが如く」司馬遼太郎著に載ってたことなんです。

九巻の一頁目から載ってるんです。

IMG_3321

あっ、画像をクリックしてやってください。

大きくなるから。

IMG_3322

幕末の人です。

安達清一郎という人。

因幡鳥取藩の人ですぞ。

江戸は昌平黌に留学したというからエリートかな。

IMG_3324

で、桂小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作などと同志的結合があったようです。

IMG_3325

さらに剣は千葉道場と書いてある、北辰一刀流ですぞ。

でもこれは千葉周作ではなく弟の貞吉さんの道場ではないかと思う。

IMG_3328

だって、あlね、なんとね、貞吉道場の坂本竜馬とえらい知り合いだったとのことで、竜馬は貿易。

清一郎さんは開拓だと考えていたようです。

日本を豊かな国にしようとの思いです。

IMG_3329

幕末には京都留守居役を勤めたようです。

まあ、大変な時、事、仕事ですよ。

IMG_3331

竜馬と知り合いなんてすごいじゃないですか。

この前のNHKの竜馬は最初の頃ネックレスをしてましたが、まあ、二枚目だからいいのかな。

ただ、光の使い方はリアルで最初見たとき、「やってくれるがなぁ」と期待したものです。

IMG_3332

で、もとにもどると、この清一郎さんのところにいたのが片山潜だそうで、これって共産党だでなぁ。

まだよくわからない。

IMG_3333

あ、そう、西南の役のときには西郷さんから、いや、実際は鹿児島県令の大山綱良から決起してくれと要請があったようです。

このとき今の岡山、作州の郡長、津山署長をしていたということです。

IMG_3334

岡山に車で行くとき自衛隊がある日本平というところ、これはこの人が開拓したらしい。

IMG_3336

西南の役には加わらなかったようです。

岡山県令の、薩摩出身らしいのですが、高崎五六にとめられたようです。

IMG_3339

インターネットでこの安達清一郎と入力してみると、この因幡では当たり前の名前のようです。

IMG_3346

いやぁ、知らんかったです。

IMG_3351

そうそう、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されたときの首謀者、関鉄之助がこの鳥取へ逃げて来たとき、これを受け入れたのはこの清一郎さんだったようです。

IMG_3367

昔のことで、顔も知らぬ人たちですが、なんとも、いや、同じ赤い血が通っているはずなんで、なんか感じるんです。

IMG_3368

思いません??

IMG_3380

この鳥取にも、ドラマ、ドラマがあったんです。

いや、今でもドラマが進行してるんですよ。

突然ですが、宗谷岬です。

最北端か?

大昔行ったんです。

テレビで見ると観光地となっているんですが、大昔はそうじゃなかった。

最北端の塔というのか、そのしるしと小さな木工の土産品の店しかなかったと思う。

記憶が正しければですが。

そのバラックの土産店へはいると、木工のご主人がハヤシライスを食べてた。

そこで持って帰るには大きなアイヌの娘を彫ったものを買いました。

それは今でもある。

いま何度も聞く歌があります。

「宗谷岬」

ダカーポもいい。

でも、これをいま気にいっているんです

著作権のつごうでしょう、その都合で削除されるかもしれない。

だが今日の本題はこれからです。

稚内に立食いの店があったそうな、というyou tubeです。

リンクしますからぜひ見てください

そう、今日は画像がありませんです。

色の違っている文字の部分をクリックしてください。

宗谷岬が出てきます。

稚内が出てきます。

再度行ってみたいです。とても。

数年後行くかな、二人で。

さらに足をのばして礼文島にも行ってみよう。

カレンダー

2024年11月
« 4月    
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  

ご案内