» 想うことのブログ記事
ネットに載ってたんですが、福島の原発事故で住民が着の身着のままで避難してしまい、猫を思い、その後キャットフードをもって20キロ圏内に軽自動車で乗り込んでいったカメラマンの話なんです。
あの事故が2011年3月11日です。
この3月末にはもう駆けつけているんです。
キャットフードとはいえども犬だって食べれるわけです。
最初に見た動物が馬だったそうで、いかにも福島ですよ。相馬馬追歌とかあるもんなぁ。
本人びっくりしたようです。
だが、その後、畜舎にとじこめられたまま餓死していた牛とか、鶏を目にするわけです。
もちろん人間はいない。
さらには繋がれたまま死んでる犬。襖を破ってなんとか外に出ようと、でもサッシは開けることができなくてやはり餓死した猫。そんなのが目に入るわけです。
生きてる動物たちもいるんですが、そのなかで印象的なものに、犬の話があるんです。
家主はいないのですが犬がその家を守ってる。
キャットフードをやると、この犬はそのうちの鶏に食べさせて自分は容器から落ちたものを食べてたとか、ほかの野犬と喧嘩して傷を負ってたとか、その家を、主人のいなくなったその家を主人に変わって守っているんですよ。
だから、助けようとする人には付いていかないのです。
元気な猫もけっこういるみたいです。もっとも警戒心が強いからすぐには出てこないようです。
一番いかんのは、やはり人間かなぁ。
放射能物質の飛散を知りながら、その地域へ教えなかった政治家。責任を感じずに方外な退職金を手にした東電の社長も確か居たのではないかな。
ほんに家を守る犬の爪の垢を飲ませてやりたいで。
参議院選挙の開票結果が次々とテレビ画面で速報されています。
なんか世間にゴマすりの民放の姿も見えるようで、なんとも、ですが、それはそれとして結果がて来ています。
それはそれとして、昨日のことで忘れてたことがあったんで載せます。
稲ですよ。
青々として育っていました。
青いといいましたが、緑なんですよね。
昔から緑を青という。弊店の緑の色にも祖父の文字で青と記してあります。
その「青い」稲は人間世界とは別個にすくすくと育っていました。
で、選挙ですが、テレビ画面での新人の立候補者?わけのわからん変なのも党公認となっているんで、18歳、19歳の新票を狙っているのかと、ばからしい感覚を抱きます。
でもまぁ、これが日本の現状なのでしょうかねぇ。
?、そうだで、現状だと思う。
でも、まぁ、いや、ワシらが若いころにはきっと年寄り連中は「今の若い者は!」と同じく言っていたに違いない。
でもなぁ、今、ちょっといけんかもしれん。
5月末にアメリカ大統領のオバマさんが被爆地広島へ来て献花したんで、ええことだがないや、と思っってたんです。
そして、次には参議院選挙で、18歳以上の国民は投票権を得ることができました。これはこれで、どうなるのか?
ここまでは、発展的なことだとも考えられるんですよねぇ。
ところが、今月の初めに起こった事件は悲惨そのものでした。
バングラデシュのダッカでおきたテロですが、日本人が7人殺されました。それもその国の人の役にたつと、わざわざ海外に、夢をもって仕事をしていた若者がもっぱらでした。
今日その遺体が帰ってきたんですねぇ。
この家族の気持ちはどうなのか。とても我々では察することができない。
今回の事件での犯人は裕福な家庭の息子たちとも聞きました。
その一人の父親が新聞にその気持ちを、申し訳ないと載せているようですが、なんとも。この父親もどうすればいいのか。被害者ともいえるんじゃないかな。
おそらく犯人たちはある種の正義感を利用されたんじゃないかと、かってに思ったりしてるんですが、どうなんでしょう。
今回他国の人々もたくさん犠牲者が出たんですが、おそらくこの先日本人が巻き込まれる事件がさらに起きるんじゃないかと考えられます。
そりゃそのはずで、地球に日本一国があるわけじゃなく、様々な国々と付き合っていかねばならず、日本人も海外に住む人たちが大勢いるわけですよ。
いまや、日本に住む我々も関係ないことじゃない。そんな気がします。
と、いうことは、もっと、いろいろ知らねばならないわけです。
なにが、今、正しいのか、そうでないのか。てなことをね。
とりあえず参議院選挙だわなぁ。
レオナルド ダヴィンチのドラマを見てたんです。
天才なんでしょうねぇ。
昔全日空の尾翼にはレオナルドの考えたヘリコプターが描かれていました。
そう、初めてそれだけ見れば、「なんだ、これは?」といったものでしたが、「これはヘリコプターだがなぁ。」と言われれば判るものでした。
この人が生きてた頃は、日本の時代でいうと、室町時代になるのかな。
ひょっとすると一休さんと同じ頃かもしれない。どうなんだろう。
この時代日本では戦が続いているのに、農業生産は伸びて人口が増えたようです。
そして文化も盛んになった。
どうもイタリアもそうだったんだ。
ミケランジェロも同時代なんですよ。
あ、いや、文化論なんておこがましい。
今日の主題は、そのドラマを見ていて、レオナルドが言った言葉なんです。
「神が想像する力を与えた。想像できるものは造ることができる。」だで。
これって、ワシずっと思ってたことなんです。
あ、今はちがいますよ。
今はなんぼ想ってもどうしようもできない。
若いころのことですって。
まぁ、結局ワシは大したこと出来ずに歳をとってしまったわけですが、、、、、、。
そしてレオナルドは例の「モナリザ」を描いたりしたんですよねぇ。
なんであの描かれた女に現在でも注目が集まるのかようわからんだ、ワシ。
あの女にキスしようと思うか?どうなん?
ま、しかし、いろいろ考えれば、はっきりといるのはレオナルドは天才だということですよ。
さらにもう一つ。
ピカソが残した言葉です。
「できるといえばできる。できないと思えばできない。これはゆるぎない絶対的な法則である。」
と、きたもんだ。
時代は違っても同じような天才はいるもんだ。
この連中にできるだけ近づこうで。