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七時に閉店が弊店のきまり。

でも、女の仕事は終わらない。

食事も作らにゃならん。

やさしい店主は、早めに仕事を終えて家のほうへ行くよう女将に告げた。

「テレビ見るで。」「見りゃええがな。」

さて、やさっしい店主が店を閉めて家のほうへ帰ると、女将はテレをビ見ている。

韓国のドラマだわい。で、酒飲んでるのはワシ。

ワシはさらに風呂へはいって、おう、ええ気持ち。

あがって、リビングへもどるとと、まだテレビ見ている。

韓国のドラマは続いているのだ。

さらに、氷をいれてウイスキーを注ぎ水わりを作って飲むものの、なんかもの足りない。

そのとき目にはいったのが、後輩のHさんからもらった長とうがらしと茄子だったんです。

秋茄子ですで。

たてに、数箇所ふむふむと皮をむき。

塩、天然塩でもんだ。

と、「たてに切って塩をまぶしたほうがええで。」とのテレビ見ているひとからの助言。

(どうも頭の後ろにも目があるらしい。)

そうしたら、いっそう茄子はしなぶけた。

しぼると、汁がでる。

これを5ミリくらいの幅に切って、しょうゆでもいいが、ワシはゆずしょうゆをかけて、酒の肴。

これがうまい。うまいんです。

今ですで、秋茄子。

でも、絶対日本酒のほうが合うと思う。この味は。

さらに今日はきゅうりをもらった。

どうして肴にしようかな。と、思う。

昨日のコスモス見学へ行く前の話。

週末恒例となったカインズホーム(基本はDIYショップ)で酒と「もなか」の煮干を買って、そう、普段と違う店でなにか食べたい、と、だが、結局は、なんのことはないファミリーマートでおにぎりと、おでんを買って湖山池を見ながら食べた。

小雨降る湖山池であった。

途中ラーメン屋もあったが、駐車場はいっぱいであきらめたりしたんです。

そして湖山池です。

買ったおにぎりは「クラフト in 八頭」のときに買ったものと同じもので、ワシ保守的です。

おにぎり二つとからあげが三つついている。

女将は別々なおにぎり二つ。

よかったのはおでんを買ったことです。

一個百円とか八十円とかでいろいろある。

竹輪、大根、がんもどき、そしてウィンナー。

ウィンナーが竹串にさしてある。

おでんにですで!

食べてみりゃうまいが。

さらにありがたかったのはそのつけ汁ですよ。

味噌汁がわりになりましたし、暖かい。

あぁ、画像は女将が竹輪をたべたんですがからしがたくさん着いていたんです。

まあ、小雨で湖山池見ながらおにぎり食べるなんて、ちょっとはずれてる。

ところがやってみれば、けっこういいもんです。

暖かな車のなかで、少々狭いがおいしいものが食べれるんです。

外の冷たさと、車の中の、そして、おでんの暖かさが、味です。

さらに、まわりは季節がいっぱい。ススキを採って帰るという。

こういうことにはマメです。

このあとレーク大樹へ行くも、駐車場がいっぱい。

鹿野町へむかったわけです。

山紫苑で貸切同様の温泉にはいりました。

湖山池を一周、さらに白兎まで出て、思わぬドライブでした。

山の裏道から北へ向かって白兎までの途中の風景ですが、空気がきれいです。

採ってきたすすきで女将のアートの出来上がり。

藪に生えてるように活けたとのことです。

日曜日、晴れだったら海。

天気が悪ければ、、、温泉かな、と思ってた。

台風17号の影響で温泉も危ういかなと、昼前に最接近と予報だったが、強い風は吹かなかった。

少し前の新聞に鹿野のコスモスが載ってたんですが、そう、毎年載ってるが、鹿野のどこだかわからん。

まあ、ええわい。

で、ああ、あの道端にも咲いてたと、車で走っていった鹿野町です。

植える人がいる。咲く花がある。

かなり狂った季節だが、忘れずに咲くコスモスです。

風に吹かれてばらばらに咲く秋桜です。

幼稚園の子供が遊んでいるようです。

小雨とは言わぬまでも、小さな小さな雨が降っていた。

晴れた日のほうがコスモスは映えるぞ、と思ってたんだが、この日の花もいい。

風になびく様子がいいと思うんです。

曇りでもちゃんと花びらを、飛ぶ飛行機の翼のように張って咲いている。

少しけなげで、なかなかいいです。

風に遊んでいるような様子に少し気持ちが弾みます。

ずっと、ちょびちょび中村彰彦さんの歴史小説読んでるんですが、この作者はとくに会津藩に思い入れがある人です。

で、幕末には会津藩は京都守護職を務めるんです。

やめりゃいいのにねぇ。

この義理堅い殿さんは松平容保さんです。

弟の桑名の殿さん、松平定敬は京都所司代を勤めてる。

とに、、、兄弟そろって徳川になんと義理堅いことか。

福井の殿さんの松平春嶽さんなんか途中で幕府から逃げてる。

まあ、世の流れ、お家大事です。

結局会津藩はむちゃくちゃやられて、一度は藩も無くなってしまう、確か‥‥。

だがこれが後に斗南藩3万石として許されて多くの家中が移住をするんです。

もと23万石、守護職の時には28万石が3万石ですで。

その場所が、なんと青森の三戸、五戸さらに下北半島の大湊あたりなんですよ。

大湊、むつ市、田名部といえば、ありゃりゃ、インターハイで行ったところではないですか。

地図でみるといまだ斗南の地名が残ってる。

もっとも廃藩置県をきっかけに多くの家中は会津や東京に生活をたてるために、また居を移すことになるんです。

でも、こんなこと知らなんだ。

さらにまだある。

会津の鶴ヶ城の引渡しを受けた官軍方は薩摩の桐野利秋と名前は忘れたが鳥取藩の者であった。

さらにまだある。

各藩の藩士も含めてトップもどこかの官軍方の藩へ預けられるんですが、松平容保が預けられたのが、最初鳥取藩でした。

知らんかったで。

まだ知らんかったことは、藤田五郎がこの会津家中と行をともにするんですが、この人は新撰組の三番隊組長、齋藤一その人なんです。

高校のころの漕艇クラブの顧問の先生でした。

さらに三年の時には担任の先生。

縁が深いのか。

青森インターハイの時には一緒に行っていただいた。

行く時には一滴も酒を口にしなかった。

宿でも口にしなかった。

帰りには十和田湖でますを肴に飲んでた。

おいしそうに。

そんな記憶がある。

後で聞くと願をかけてたとのこと。

おかげで出場校の半分よりは上の成績でした。

去年は先輩のMさんが亡くなり主なクラブの関係者が集まったとき、杖をついて出席されてた。

その先生が新聞に載ってた。

中嶋先生です。

お世話になりました。

ハハ、迷惑ばかりかけたような気がする。

みんな、ボートのみんな元気でいてほしい。

そう思う。

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