雨ですよ。
そんな中、四代目は朝四時台に岩手へ出発しました。
炊き出しをするんだと、帰るのは日曜日です。
よく低血圧でたおれる人間が気張ってますゎ。
雨です。一昨日から夜もふっていた。
これがまた、最初はスコールのように降っていたんです。ところが途中から忍者のように、でもしっかりと降っていました。
昨日夕方すぐ近くの鋳物師橋へ行ってみました。
画像は上流のもの。水量が結構増えてます。
そして下流側。
あたりまえに同じような画像。
写真撮ってたら、なにかあるのかと、こらぁ写真撮っとかないけんでと、若い通行者がケイタイで袋川の写真撮ってました。
千代川もかなり水かさがあったようです。
パートさんの小谷さんが袋川も千代川も昨日見に行ったようです。
店へ帰ると画像のこいのぼりがめにはいりました。
で、パシャリ。
FMラジオのニュースでアンリィ・ウォホールの自画像が31億円で落札されたとのことです。
ゴッホのそれもですが、なんだっちゅうだいや。
よっぽど画像のこいのぼりのほうがええで!ほんと。
» 2011 » 5月のブログ記事
牛小屋にはさまざまな、名前も知らぬ人たちが来ています。
今日ヤフーのニュースに東日本の地震の関連記事が載っていました。
署名入り。
その名前はUさんです。
そう、牛小屋の女(ひと)ですよ(なんて書くとちょっとかっこいい?)。
何度かこの小屋で姿を見かけたものの、最近は忙しいのかそうはいか なくなっていました。
どこの生まれか、どこの学校か、そんなこと一切知らない。
牛小屋らしいですよ、こんなこと。
二月の終わり頃、ひょんなきっかけで同じ新聞社の記者から聞いたのは、近く仙台へ転勤とのこと。
その時聞いたとおりに転勤になっていれば、なんと、3.11の2時46分に大震災に巻き込まれているわけです。
だが、実際は四月終り頃とのことで、まぬがれたのです。地震を。
これって、どちらがよかったのか。
記者魂からいえば、そりゃあ、その時現場にいたほうがいいでしょうよ。
ただ、でもなぁ、なんですよ。
地震には強くは縁がなかったようです。
でもこの千年に一度の地震は終わったわけじゃない。
さまざまな事柄を人々の生活に及ぼしています。
記事のネタは底知れず、きびしくあるわけです。
そうはいいながら今日の記事に、子供の被災者が中四国地方にも避難して暮しているとのことです。
そうなんですよ。
少しは鳥取と縁があった人です。
これからも元気に活躍してほしいものです。
そうそう、あれですよ、この画像はちゃんと本人の承諾を得たものですよ、牛小屋の関係者は変な奴多いから、とりあえず掲載許可を得たんです。肖像権の問題はありません。
この日は I さんのお通夜にも行ってきました。
死神というのは誰にでも、あんがい近くに住んでるんじゃないかと思いました。
でもまた、若くして死んだらいけんヮとも思いました。
死ぬんなら、ように歳とって周りのものが「ああ、まあ、仕方ないで、エエ歳だけなぁ。」と思うまでは長生きせにゃぁいけんと思います。
さてぼやせん。
いや、日曜日にポニー牧場へ行ってきたじゃないですか。
そしたら、ずっと頭の中に、ほら、あの歌。
「おんまはみんなぱっぱか走る、ぱっぱか走る、ぱっぱか走る。おんまはみんなぱっぱか走る おもしろ~いな~。
どうしてなのか~、だあれもし~ら~ない~。♪ ♪ ♪ おんまはみんなぱっぱか‥‥‥。」
これが頭の中から消えないのです。ほんと。
ぼやき川柳です。
お題は「便り」と「楽しむ」でした。
久しぶりに放送されました。少しは気持ちが元気になったのかもしれません。
記念館 巻紙の文字 読めやせぬ
にいちゃんに ○×(丸ばつ)葉書出してみる
ニヤニヤと ケイタイ画面が 歩ってる
プチプチを 一つ残らず つぶす妻 鳥取人
おまけに
毎年の くにの便りに 梨の箱
です。プチプチが読まれました。
この画像は松屋さん。
なにか大学の教授、哲学科の教授にみえます。
急に一緒に空山へ行くと言い出し、ほんとに来ちゃったんです。
私は助かりました。
この画像は周知の花泥棒(女将)が「いい花はないか」と物色している姿を防犯カメラでとらえたものです。
さて次の、17日のぼやき川柳のお題です。
「空」と「借りる」です。
空山(そらやま)にポニー牧場があるということはけっこう昔から知っていました。
また、普段目にする風車がやはり空山にあるということも承知していました。
実際行ってみるとポニーと風車は少し離れたところでした。
ましてや風車のほうは、近くにやはり牧場があり、たぶん口蹄疫の関係でしょう、道路が立ち入り禁止になっていました。
まあ、一番の目的地はポニー牧場です。
馬です。
こんな近くから見たのも触ったのも初めてです。
馬小屋では若い人たちが数人。
元気に掃除しながらしっかりと元気に
「こんにちは!!!!。」と挨拶。
きちんと手入れされた馬小屋。
でもやはり少々臭い。
仕方ないですよね。
生き物だもの。
馬小屋なんて初めてで、聞いたんです。
「この馬、撫でてもいいですかねぇ?」
「いいですよー。時々かみますが。」
「指がなくなるじゃあないか。」
西部劇のように鼻ずらを、恐る恐る撫でました。
猫と違って硬い毛でした。
あ、いや、この牧場に来たきっかけは和菓子教室が出来ないかと頼まれたんですよ。
親子が相手とのことで、さらに三十台の綺麗なおかあさんが来るという言葉につられたのでした。
あまり、むずかしいのはだめなんで季節がら「富貴草」を紅白で作ることにしました
これは牡丹のことです。
結果は若い人も結構参加してました。
ただ山の上なのでいい水がない。
水道の蛇口はつけてありますが、ちょっとなぁ、の感じで飲み水をボールに入れて使いました。
丁寧に賑やかに、一緒に作りました。
だいたいここまで来る人は元気。
明るい。
それに変に大人びた子供もいない。
おかげでワキアイアイと賑やかに進行。
加えてお母さんの表情がはっきりしています。
ふつう、なんていうのか、はっきりしない表情というのか、世間的の顔というのか、人の価値観で動いているというのか、とにかくここでは一般の人より表情がはっきりしていました。
こちらも楽しみながら、駄洒落とばしながらできちゃったんですよ。
これで多くはなくとも講師代もらっちゃって申し訳ないくらい。
もちろんみなさんにも喜んでいただいたみたいで、さらによかったよかったと思うんです。
そういえば弊店の和菓子教室も早く開かねばと思います。
今日も以前の生徒さんが次はいつになるのかとわざわざ店まで来られました。
請われるときが花なんですよ。
頑張りましょう。
(画像はテレビ画面です。)
今年は次々に知っている人が亡くなります。
このブログへも記しましたが、弊店の斜め前の洗濯屋さんのおばさん。
そのほか隣のおじさん、前の豆腐屋のおばさん、町内でもつぎつぎにありました。
さて、昨日、今日。
今日の夕方高校のクラブのときの同級生のお母さん。
亡くなったんです。
40年近く前に私のお茶の師匠でもありました。
急でした。脳出血でした。
棺のなかで元気な時と同じ顔で眠っていました。
明日が通夜ですが予定が許さず今日行ってきました。
同級生のHは暇さえあれば鳥取へ帰ってきていました。
この度もそう、
一日に佐世保からの里帰りの途中に実家に電話するも返事なし。
結局倒れているのを発見するのです。
すぐに救急車を呼び、結果4日に亡くなりました。
頭の左に出血とのことで、喋れないまでも左の手は握り返したりと話はできたようです。
そんなことをとつとつと私に喋りました。
うん、うん、と聞くだけです。
明日は別な通夜に行かねばなりません。
I さんです。私より二学年上の親しい人です。
数年前より商売を始め、かなりしんどい仕事をしていました。
昨日夜7時過ぎ、このI さんの娘さんから電話があり、亡くなったとのこと。
え!なんだ!?こりゃ!といった感じです。信じられない。
癌だったとのこと。全身に回っていたようです。
思うんです。
昔、そう、ざっと40年ほど前、私大病しました。
1年7ヶ月の入院。さらにざっと1年の療養。
でも、その後には今までたいした病気もせずにここまで来れたこと。
感謝します。
相手は神様?わからないけど、感謝してます。
さて、あとは二十年?そこまではないかな?
いまとりあえず面白いのは時代小説。早く始めたいのは散歩。
造りたいのはおいしくて楽しいお菓子。
そのほか世の中のいろんなことが解ってくると、体が、エネルギーが少なくなっている。
でも、空元気でいい、
えいえい、おーーーー!と負けずに、日曜日は空山で和菓子教室だーーーーーー!
酔っぱらっとるかな?