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鳥取クラフトキャンプin船岡

じゃないんです。今年は。

鳥取クラフトキャンプin八頭

なのだ!

私はまだ、申し込みしてない。

今度は夏の真っ盛り。

暑いで!!!!!

どんな菓子、持って行きゃぁええだいや?

これ、持ってきたのは、あの牛小屋のオーナーのタクミsんです。

いま、気張ってる。

ふんばるまん!!作ってフンバルマン。になってる。

そう、竹林公園のin八頭の出店料が3,500円になってた。

500円上がってた。

運営が大変なんだろうと思う。

全国の皆さん。

このブログ見てる数少ない皆さん。

どうぞ竹林公園へ来てください。

変わり者の集まり。人の良い集まり。なにか作ってるひとの集まり。どうも金持ちでない人の集まり。

情の深い人の集まり。

です。

弊店も行きます。

何、作ろう?

朝の散歩です。

久松公園でB-1グランプリをやってると知って、ちょっと見たくて散歩の行き先をきめ、行った。

まず目についたんがお堀道路わきのこのテント。

ありゃ、道路わきでやっとるで。と、思った。が、これは物販の販売であった。

ただ、どんなの販売してるかは知らない。

これ、トイレ。

なんせ今日の新聞では昨日は四万八千人かな?来場者が、、、、、

これは鳥取人。

太極拳をやってた。

わしもやりたいような気がする。

上を見るとそこにもB-1の旗が立っていた。

主会場はどうもここ。

西高の校庭ですよ。

手前の緑のコーンは来場者の列をきちんと並ばせるためですよ。

これが女将が食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、といって券を買うと、うわ言のように言ってた牡蠣のお好み焼き。

早い朝。ま~~だ作ってない。匂いもない。

ステージもあった。

下は雨で少々荒れてた。

また仁風閣を覗く。

あとは次々画像いきます。

これが第二の見たいもの。

巻石垣。

はじめて見ます。

天球丸の石垣を補強するための変わった石垣。

以前と比べ石垣が整備されている。

32万石だ。

人口20万の鳥取市だ。

城跡だわい。

画像が悪いが木の葉の中の白いのは蛙の卵ですよ。

ちょうど池の上。

なんだったかな?この蛙。

モリアオガエル?ようわからんが、我々の足音にびっくりしたのか、青い蛙が下の池に泳いでた。

天球丸のこのあたりはクラブでトレーニングしてたところですよ。

体が痙攣してどうしようもなかったこともある。

涙が出てどうしようもなかった。

まあ、その後インターハイ行ったんだわい。

手前の大きな屋根は西高の体育館(講堂)。

石垣がどんどん整備されてえらい変わってきとるで。

天球丸の東側。

かって踏んでた土の下にこんなの、櫓のあとがあるなんて知らんかった。

松ぼっくりなんかで、画像は逆になるがハートマークがつくられていた。

ごっつい石垣だで。

だいたい人間がいけんわい。

ろくな考えもなしに開発してからに、傲慢だわなぁ。

熊も猪も、その他も住むところが無くなってきたんだろうなぁ。

いけんで。

近くこのしっぺ返しがくるんじゃないかと思う。

人間だけのもんじゃぁないで、緑、川、山は。

いけんで。

途中で大女将からケイタイに、「近所のMさんが進物がほしいってきとんさるで。」との御言葉。

休みだのにせわしいことだわいと、急いで帰ってきた次第。

倉吉へ行ってきたんです。

鳥取県中部の町です。四つの市があるその一つ。

蔵の多く残る町です。

中部にあるから米子、境港、鳥取から集まるのには都合がいいのです。

鳥取県菓子工業組合の総会でした。

来年広島で全国菓子博覧会があるのですが、その会議です。

まあ、昔どおりにはいきません。

それでも開催地たる広島県の皆様には頭がさがります。

ただ、幕末の幕府を思い起こしたりします。

まあ、それはそれとして三朝を通って鳥取へ帰ってきました。

鹿野の卓己が牛小屋へいないかと寄ってみるのが一つの目的でした。

その道中の画像です。

投入堂へ通ずる道路。

一応この鳥居をくぐらなくても通れるわき道がこさえてあるようです。

なかなか思いやりのある道路の作り方です。

宗教ってのは難しい。

夜大変に静かに眠ることができそうなロケーションです。

あ、でも虫やら、蛙の鳴き声、さらにせせらぎの音はするかな。

でも星はたくさん出るに違いない。

人工林ですが緑多い眺めです。

緑です。

電線が画像を横切る。

畑。

ここってかなり高い位置だと思うんですが、かっての森を先祖は開拓してる。

植林の木々。

田んぼもできてる。

すごい努力だと思う。

岩がごろごろしてた所だと思うんです。

その勤勉さを含めた日本の風景かなぁ。

ここから鳥取市だで。

ここに上がってくるのにダイハツタントオートマチックはあまり大きな口ではないながらも吠え続けて登ってきたのです。

なんで鳥取市の象徴は大黒さんと白兎かなぁ。

大黒とはインドの神様ですよ。

大国主命はなんだ、オオナムジノミコトとかその他名前があったと思うが、まあ、知れ渡ったことがらが一番なんでしょう。

人は細かく確かなところを認知すべきでしょう。(ワシも含めて)

山です。

山、山。

下りになるとこんどはブレーキが心配。

車が勝手に前へ落ちていきます。

これが鹿野まで続く。

ずぅーと続くんですが、道路にタイヤのあとがいっぱいある。

どうも若い車狂いがロードレースしてるんじゃないかと思う。

曲がりくねった坂道であればタイヤきしませ走りたくなるわなぁ。

なんともなぁ。

エネルギーの昇華かなぁ。

で、鹿野の牛小屋まで行ったが、、、留守。

はは、そんなもんですよ。

千代川鉄橋で久松山をバックに列車が走ってた。

朝の散歩のときに昨日配達してなかった商品を持っていこうと、この日は鳥取駅が散歩の目的地となったのです。

ただしまっすぐには行かない。

楽しみながら、「ディスカバーとっとり」ですよ。

花時計です。

小学生がデザインしているそうです。

小学生、高校生。列車を利用する子供たちは早くから送ってもらったりして駅へやってきます。

大変だわい。

と、まあ、少しづつ暑くなってきたとはいうものの、無事散歩を続けたんです。

歩くと普段見てないものが見えたりするもんです。

この銅像は歩ってる。

横から見るとよくわかる。

かっ「てコウエイ」というお菓子やさんが建てたビルが見える。

有名ホテルです。

Mさんが勤めてる。

なんかよさそうな居酒屋さんです。

普通アサヒドライの看板が立ててあるのに、ここはキリン。

へつらわずにいいじゃないですか。

で、まあ、帰って来たんです。いつもと変わらずに。

電話があったのが午前10時20分くらいかな。

「△△観光ですが、これからそちらへ伺ってもよろしいでしょうか。お客様がそちらへよりたいとおっしゃってます。大型バスなんですが、通れますか。またお電話します。」

さらに

「これから砂の美術館を出てそちらへ向かいます。」

弊店は

「はぁ、だが大型バスの駐車所はありませんよ。いったい何人ほど降りてこられるんですか。」

「はい、28人です。」

「すわるところもありませんよ。」

「はい、わかってます。」

なんだぁこれは。と思いながら四代目を含め4人と大女将で待ったのです。

来た!エンジンの音。

大型バスですよ。見慣れたデザインの日本交通のオオガタバス。

店はいっぱい。

ましてや商品をそろえ、包装するのもてんてこ舞い。

たとえは悪いが大台風のようでした。

ありがたや。なんですよ。

ほんとに嵐のような時間でした。

関西弁がとびかい、始めはげんきなおばさんたちの波がきて、少しあとから酒のにおいもするおじさんたちの波。

ありがとうございました。です。

信じられない。何故弊店なのか。

奈良県の方々でした。

ほがらかないい人たちでした。

終わったあと、忙しさに顔を紅潮させたたおちゃんは若い。カメラを向けると笑ってた。

が、そうでないのもいる。

疲れきった女将だ。

普通の日ではなかった。初体験でした。

見出しは、そうなぁ。「大型バスが停まる店」より

「大型バスが停まった店」のほうが題名としては正確のようだ。

数日このブログを書いていません。

こんな小さなブログでも新聞記事じゃないけど新鮮さというものがあります。

えらいもので数日たった画像はなんとなく古くなるんです。

そうすると、載せるのになんか戸惑ってしまうという、なんとも。

で、今日は新鮮なもの。

今日の朝撮れですよ。

湯所町からお堀の側を通って鳥取城の中門の橋を渡りました。

西高へと続く、すぐに校庭という橋。

そこからお堀を眺めた画像です。

校舎へと続く坂道です。

最近石垣の修復が進み、なんか眺めが違うような感じがします。

仁風閣をのぞく。

早朝誰もいない校庭を歩くと気持ちがいいものです。

靴裏にちいさな砂利をザクザクと、一歩づつ踏みしめる音とともに体に響いてきます。

県庁あたりも別な建物が増えました。

体育館です。

お堀を越えた道路から見えるのはこの建物です。

ザクザクと歩くと見えてきた吉川経家の銅像が、それも後ろ姿がみえました。

これ校庭ならしですよ。ナンバーはついてない。

久松山をバックに再度体育館。

これ分かるかな?

今はない木造校舎から石垣の上の鉄筋校舎へ上る階段です。

今は遺跡とおなじです。毎朝部室から駆け上がってました。

これは長田神社に通ずる道路と下の校庭の間の溝です。

ふちの石垣も45年前と変わってない。

このすぐ側に木造の部室が並んでた。

いまは無い。

木造校舎が建っていたところをまた久松山とともに撮ったもの。

そして来たときの逆を帰ったわけです。

西高は緑多きところです。

この木々はどれだけの生徒たちを見たものか。

中庭、校舎入り口へと続く上り坂。

昔と同じ木も茂り、なんというのか、過ぎた45年は永かったのか、短かったのか。

壮行会が開かれた所です。

参加せずに部室にいたら見つかったこともあった。

その頃は帰らぬ日々でしょう。

で、また橋の上。

ここですごしたわれわれの時間は短いものの、石垣には永い時間が宿ります。

Terramycin

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