» 2012 » 6月 » 3のブログ記事

数日このブログを書いていません。

こんな小さなブログでも新聞記事じゃないけど新鮮さというものがあります。

えらいもので数日たった画像はなんとなく古くなるんです。

そうすると、載せるのになんか戸惑ってしまうという、なんとも。

で、今日は新鮮なもの。

今日の朝撮れですよ。

湯所町からお堀の側を通って鳥取城の中門の橋を渡りました。

西高へと続く、すぐに校庭という橋。

そこからお堀を眺めた画像です。

校舎へと続く坂道です。

最近石垣の修復が進み、なんか眺めが違うような感じがします。

仁風閣をのぞく。

早朝誰もいない校庭を歩くと気持ちがいいものです。

靴裏にちいさな砂利をザクザクと、一歩づつ踏みしめる音とともに体に響いてきます。

県庁あたりも別な建物が増えました。

体育館です。

お堀を越えた道路から見えるのはこの建物です。

ザクザクと歩くと見えてきた吉川経家の銅像が、それも後ろ姿がみえました。

これ校庭ならしですよ。ナンバーはついてない。

久松山をバックに再度体育館。

これ分かるかな?

今はない木造校舎から石垣の上の鉄筋校舎へ上る階段です。

今は遺跡とおなじです。毎朝部室から駆け上がってました。

これは長田神社に通ずる道路と下の校庭の間の溝です。

ふちの石垣も45年前と変わってない。

このすぐ側に木造の部室が並んでた。

いまは無い。

木造校舎が建っていたところをまた久松山とともに撮ったもの。

そして来たときの逆を帰ったわけです。

西高は緑多きところです。

この木々はどれだけの生徒たちを見たものか。

中庭、校舎入り口へと続く上り坂。

昔と同じ木も茂り、なんというのか、過ぎた45年は永かったのか、短かったのか。

壮行会が開かれた所です。

参加せずに部室にいたら見つかったこともあった。

その頃は帰らぬ日々でしょう。

で、また橋の上。

ここですごしたわれわれの時間は短いものの、石垣には永い時間が宿ります。

Terramycin

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