» 2014 » 4月 » 25のブログ記事

また司馬遼太郎さんの「この国のかたち」からです。

あ、でもこれって以前にも載せたかもしれない。

靖国神社の前身の社です。

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時は明治二年六月、戊辰戦争の後、東京の九段へこの戦争で亡くなった戦死者を祭祀する社を造ったのです。

この発案者は長州の大村益次郎、あ、その前の名前は村田蔵六というんですが、医者です。

大阪適塾の塾頭も勤めた頭のいい人ですですよ。

愛想はないけどね。

私とは大違い。

兵学にもすぐれた人です。

長州攻めの幕府軍をことごとく潰したのも、官軍の作戦をたてたのもこの人です。

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で、この人のすごさはその先進性です。

戊辰戦争の戦死者はそれまでの藩士の戦死ではないんです。

明治新政府をこさえるそのための戦死なわけで、お殿様のために死んだんじゃない。

さらに官軍方には決してそれまでの武士ばかりじゃないわけで、町人、農民と、その後の国民という近代に通じていくわけです。

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さらにすごいのはこの招魂社は神仏儒どれにもよらず超宗教の形をとったんですよ。

これってすごいと思いません?

たぶん大村さんは農民の出身だったからかもしれません。

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ところがこの社は明治12年に神道により祭祀される靖国神社となったのです。

まぁ、日本的ですよねぇ。よくわかる。

家を造るとき地鎮祭を「はらい給え、清めたまえ」となにも思わずするようなものですよ。

さらに初詣もそうだで。

大村さんの長州は「長州門徒」といわれるほどに浄土真宗がさかんなところだったようで、よく考えたうえでの無宗教招魂社だったはずなんですがねぇ。

このあたりが安倍総理にとっては困ったところかもしれません。

結局その後の日本の戦死者はみんなここへ祭られることとなるわけです。

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そうそう鳥取の国府町に陸軍墓地があるんです。

去年まで供物のお菓子を配達していました。

鳥取県と国府町が慰霊祭をしているんですが、ここには鳥羽伏見の戦いからの戦死者が祭られているはずです。

実際たくさんの墓が綺麗に並んであるんですが、その規格のそれでは数も場所も間に合わなくなって、まとめて、どーんと大きな慰霊碑があるんです。

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間に合わなくなったのは戦死者が増えすぎたんです。

そう、太平洋戦争ですよ。

日本がペちゃ潰れに潰れた戦争です。

そしていまがある。

どうしたらいい?

尖閣列島ではずっと海上保安庁の職員はかなり頑張っているはず。

マスコミはいっときがすぎればそのニュースを流さない。

報道とは?なんなんだ?

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