» 2017 » 8月のブログ記事

「九州へ行ってきました」がえらく長くなっているんで、ちょっと一休みだで。

今日は16日。盆のあいだ、弊店はずっと休みなしでやって来たので、今日、昨日は盆休みなんです。今日こそ散髪するぞと思ってたんですが、なんと散髪屋さんも今日まで盆休みとのことです。

さて鳥取は毎年のごとくに14日は傘踊りでした。ワシは見に行ってないですが。

昨日の15日は千代川河川敷で花火大会で、夜大きな音が轟いていました。ワシは見てないですが。

画像は午後買い物で千代橋を通ったときのもので、露店の準備をしてました。この花火が終わると鳥取の夏が終わったとの、そんな気になります。

花火の音のなか、ワシはウイスキー飲みながらNHKの番組を見てた。太平洋戦争のインパール作戦をあつかったもので、いかに作戦を立てる連中が底抜けにあほだったかというものです。とに、腹が立つ。だがそんな奴が戦後もそれなりの地位についていたりするんですよ。結局日本は戦争の原因を反省をしてなくて、現在も本質的に同じ人種が社会的地位についているものと思われる。これはよくない。

8月15日は敗戦記念日なんです。

ところで、九州の旅から帰って1カ月たちますが、いまだ元気が出ない。少し、少しはエネルギーがたまって来たかなとは思うけど。

汚い足で申し訳ないが、親指は内出血のまんまだで。

七十まえの爺さんに夏の旅はむかない。そんな気が、とてもする。

 

 

 

博多では4分後の「特急きらめき4号」へ乗ります。

その前に博多駅に近いところで画像のつり橋が目に入った。なんの橋なのか、今でもわからない。

さて、これが小倉まで乗る「特急きらめき4号」です。やはりヨーロッパによく似たのが走ってる。というより、日本によく似たのが走ってる。といったほうが正しいようです。「ソニック」ともいうみたいです。

この列車、とてもいいです。まず客車の中央あたりに荷物置き場が設けられているんです。さらに座席の上の荷物置き場は旅客機と同じ方式です。

それだけではない。乗っていてとても静かなんです。揺れない。在来線であるのに新幹線みたいな乗り心地でした。一度乗ってみてください。

以前は「特急つばめ」として運行していたらしいです。

小倉に着いたのが11:28。

「きらめき」を降りて、次は門司港まで快速で行きます。

11:38発だから10分ほどの待ち合わせです。

ここまで来れば門司港はもうすぐです。

門司港行快速電車は11:52着だから十数分で着くんです。内部はいかにも在来線の一般電車です。

昔は港として栄えた駅なんだろう。貿易で栄えたところなんだろうと思ってた。だから大きな駅を予想してたんです。そうじゃなかった。現在は小さなものでした。

ここも終点の駅です。各線路はここでストップです。

我々の走ってきた線路も終点です。今回の旅行はJRの終点が多いです。いや、始発でもありますが。

枕崎、長崎、佐世保、そしてここ門司港です。そういえば大阪から船で着いた志布志港のJRの志布志駅も日南線の終点でした。乗ってないけど。

さて、門司港の駅です。

観光地ですよ。人力車なんぞが置いてある。しかも明治ごろの衣装を着けて写真も撮れるようにしてあるんです。

まさしく「門司港レトロ」なんでしょう。

駅を出るとすぐに海があるんです。

船で荷物を運び、さらに列車で全国へ運んだんでしょう。今でも海が生活の中心のようで消防車にも「水難救助隊」なんて文字がみえる。

もちろん巡視船も停泊してますよ。

鳥取で地図を調べた時に、この駅とホテルはすぐ近くだったんです。まだ昼の12時です。チェックインはまだ出来ないものの、まず、荷物を預かってもらおうと考えたんです。

思ったより大きな、そしてレトロなホテルです。

荷物はすぐに預かってもらいました。

で、見学です。暑いですよ。

我々が来る以前に大雨で天気が悪かったのか、観光客はそんなに多くはないようです。

我々の行き先、大雨で路線も止まってたりしたのが、我々の立てた計画を変更することなく、最終目的地のここまでやってきました。不思議です。

かってはもっとたくさんの古い建物があったんじゃないかと思うんです。小樽も同じ港を中心として栄えた街ですが、倉庫とかの建物がけっこう残っています。もっとも40年前に見た時よりもかなり減っていましたが。ここ門司港はそんな古い建物が少ないです。

海があって、岸壁があって、そこにホテルがあって、土産店があって、といった感じです。

つづく。

 

 

 

平成29年7月13日(木)の朝は佐世保で迎えました。

この日は最終目的地の「門司港レトロ」です。こんなの私は一切知らなかったんですが、計画を立てる時に女将が「ここに行ってみたい!」とのたもうたのです。

どこのホテルもあまり変わりのない朝食バイキングを、しかしおいしく食べて、支払いをし、あ、ここはカードのポイントがあったんでとても安くなりました。なんでもつかわにゃ損です。

駅まですぐなんですが、少しは違ったものをと、昨日とは違う道を行きました。

一般の人が交通整理をしていました。

駅に着いて目に入ったのが、Hさんが土産によく買ってくるせんべいが並べてありました。名物なんだ。女将もここで土産にと買いました。

この日の予定はゆっくりです。

出発が08:06でもいいし、08:47もある。さらには09:44でも十分いけるんです。

結果は08:47の「特急みどり8号」です。

佐世保線、長崎本線、鹿児島本線の在来線を200キロほど走ります。もちろんジパングクラブで30%引きです。

この画像は「みどり8号」の窓がえらく光って鏡のようになってたので、夫婦で写真撮った。

で、鳥取に帰ってから、そういえばと思ったことがあるんです。

この佐世保にもアメリカ軍基地があります。横須賀にもある。岩国にもある。三沢もそう。そして何と言っても沖縄です。そして沖縄では以前ほどではないにしても、いろいろな事件が、アメリカ兵に起因した事件が報道されます。だが、他の基地ではほとんど聞きません。なんでかな?と思うんです。

まぁ、基地が日本国内にこんなにもたくさんあるのは何とも言えませんが。

さらに鳥取で、そうだった!と思い出したこと。

考えたら「佐世保バーガー」食べてなかった。

鹿児島でも「芋焼酎」飲んでなかった。ホテルの売店に売ってあったのになぁ。

本場で食べて、飲んでみたかった。

そう思う。

この時は、そんなことも思わず列車は佐世保を離れていきました。

博多まで2時間ほどの列車行です。

途中佐賀の手前かな。

また広い平野がありました。佐賀藩でしょう。薩長土肥といわれ、幕末には官軍方の代表藩でした。アームストロング砲を製造できたのが一つの原因でしょうが、その他にも蒸気船、製鉄等、薩摩藩より進んでいたかもしれません。人物もだしています。江藤新平、前島種臣、大隈重信なんかが記憶にあります。

薩摩では西南戦争がありましたが、佐賀ではそれより前に「佐賀の乱」がおきています。やはり大久保利通をトップとした明治新政府に治められていますよねぇ。確か斬首された江藤新平は新政府の要人だったのになんともです。人間てのはボスは少数でしか生きられないのかもしれない。

少し調べてみると佐賀は35万7千石だそうな。鳥取は30万石だからそんなに違わない。だが薩長土因とはいわない。

鍋島閑叟さんがえらかったのかな。でも教育とかもかなり厳しい藩だと記憶している。

そうか、広いから熱気球の大会が出来るわけだ。

終点博多には10:34着です。

つづく。

 

 

佐世保も長崎と同じでけっこう山の斜面に住宅が建ってる。いい港があるところは地形も似ているのかもしれない。Hさんの家もそうですよ。その隣はその斜面の少し上にある。

水害には強いで。

一度ホテルに帰って、夜に佐世保駅の近く、居酒屋で集まることになりました。

画像は駅前の通りです。鳥取よりも賑やかです。

駅の建物を向うに抜けると、なんと海。駅と海がすぐなんて、初めてかな。

船着き場があるんです。五島列島に行く船らしい。どこまでも港の町らしい。

またビール。普段太るからとやめてるビールをこの旅行では毎日飲んでるんです。ヘルスメーターもホテルの部屋には置いてないし、たぶん太ってるんじゃないかなと、思うんです。

血圧は毎日測ってます。その値は乱高下です。旅だからねぇ。

佐世保の居酒屋で飲むなんてこれまで予想してなかったですよ。運命というか、一寸先は闇とかいうけど、闇ではなく光かもしれないし、まぁ、一寸先は居酒屋なのかなぁ?

考えてみれば、Hさんとの付き合いは高校以来だから、なんとうちの奥さんよりも長い付き合いなんですよ。いままで女将ほどながい付き合いの人間はそうそうおらんと思ってたりしたが、いるもんだで。あ、クラブの他の連中もそうだ。

喋って飲んで、ごちそうさまでした。そしてHさん佐世保の案内ありがとうございました。

佐世保の夜は更けていきます。歩いてホテルへ帰りました。

そしてこの夜も、血圧を測り、大きなダブルのベッドの上、女将と二人連れで何事もなく無事に朝を迎えるのです。

 

盆が近くて忙しいんです。

暑いのに今日は「桜土手どら」を一日焼いていました。そういえば盆の時期の和菓子を載せていません。とりあえず盆菓子を載せておきます。

食べれます。と、いうより食べておいしいものです。

いわゆる落雁です。

さて、女将は閉店後もまだ仕事です。仕上げの部分で、私が手伝うとかえって叱られる。で、丁寧に「なんかやれることはないか?」と問うと、夜の食事用に「おこのみやき」を作ってくれたほうがいい。との弁。

今作っています。おいしいのを。

さて佐世保に着いたところでした。

一体に佐世保とはどんなところなのか?行ってみたかったんです。毎年クラブ仲間のHさんは車で鳥取へ帰って来るんです。かなりの距離があるのにですよ。若い頃にはホンダライフで帰ってきたこともありました。軽ですよ。軽。

私の知識と云えば軍港。造船の町。といったところです。実際に行ってみてもそうでした。

長崎もそうですが佐世保もよほどに地形がよかったようです。そう、港です。両方とも端っこですよ。だのに長崎本線。佐世保線。とわざわざ鉄道を付けてる。重要港なんでしょうねぇ。

長崎は江戸時代に唯一の世界に開いた小さな窓でした。佐世保は明治のころから鎮守府がおかれ、要するに海軍基地があったわけです。じっさいに日露戦争のおりにバルチック艦隊を文字通り完膚無きままに撃破した帝国海軍はこの港を日本本土の最後にして出航したと思います。

現在は自衛隊とアメリカ海軍の基地があります。そして佐世保重工とかの造船所です。いやぁ車で案内してくれました。楽ですよ。車は。

この日長崎のグラバー園へ行き大変汗をかいて、Tシャツをきがえたんですが、考えてみると、これから先のTシャツが足りないんです。で、車に乗るなり言ったのが「ユニクロが近くにないだろうか?」でした。

結果は「しまむら」へ行きTシャツ二枚買いました。二枚で千円。安いです。

そしてここは軍港なんで。護衛艦も見えます。この日は舞鶴ほどではなかったです。

これは佐世保重工だったかな。見たことない運搬車が停まってた。

ここは佐世保を展望できるところです。我々夫婦だけだと絶対に来てない。

友あればこそですよ。

おらおら、佐世保だで!

九十九島だで。島だで。ほんとはいくつあるのか?九十九島あるで。

港をアップで見ればヘリ空母の「出雲」が停まってる。

太平洋戦争以来ざっと七十年ぶりに日本が持った空母だで。いま日本に二三隻あるんじゃないかな。これも他の船と同じく護衛艦と云っているのかな、たしか。いろいろと無理があるで。

で、ワシら。

佐世保記念だゎ。

そしてHさんの自宅です。これは自慢の庭です。自分で整備したというから、なんともえらい。そういやぁ、Hさんの父親もそうだった。血だで。ワシなんか絶対にできない。

おいしいコーヒーも飲ませていただきました。

それも自慢のカップに入れてくれました。いいですよ、こんなの。これって幸せを絵にかいたような。といえるんじゃないかな。

(このブログ、昨日11日そして今日12日と二日がかりです。)

つづく。

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