» 2017 » 8月のブログ記事

この旅に出る前には、その主目的は鹿児島、薩摩でした。それに長崎にちょっと行ければ、長崎に異国の匂いをみることができればそれでよいと思ってたんです。女将は女将で肥薩線とか、最後の日には門司港レトロとかが主目的でした。だからもう一つ長崎の下調べがなってないんです。行ってみれば現地というのはいろいろあるものです。

長崎に落とされた原爆は「ファットマン」と名付けられていました。広島に落とされたのは「リトルボーイ」です。アメリカらしいですねぇ。誰もが想像する以上の破壊力を持つ、とんでもない悲劇の元の爆弾です。これに「小さな児」と「太っちょ」なんて、人を食っています。なんともです。被害を受ける方は冗談じゃない。

さて、旅行です。

次は佐世保へ向かいます。

ここには高校の時のクラブで一緒だったHさんが住んでいるんです。以前から佐世保のことは時々耳には入っていましたが、長崎まで来たんだから、佐世保にも寄るか!といった気持ちなんです。

昼過ぎに出発で二時間ほどの距離です。ホームに出ると「シーサイドライナー」は入線していました。まだ扉は開いてない。

「ハウステンボス号」(?)も見える。

だが、両方ともなんかさえない。特に我々が乗る「シーサイドライナー」はなんだ?山陰本線を走ってるごっついローカル線の列車みたいじゃないですか。佐世保行きじゃなくて倉吉行じゃないのか?JR九州とは思えない。

画像は長崎のホームなんですが、ここは始発であり終点です。長崎本線の端っこですよ。さらにこれから向かう佐世保も端っこの駅です。九州で列車に乗り始めた枕崎駅もそうだし、九州最後の旅の駅、門司港駅も端っこの駅なんです。まぁ、端っこまで行かな変わった面白いものはないですって。

長崎を12:04に出て佐世保が13:51です。ホームにいる時にHさんから携帯にTELありです。

「シーサイドライナ―」のシーは大村湾です。シーサイドは大村線です。

大村には昔海軍の基地がありました。三四三空が四国の松山ではB29がやってきても、前もってきちんと情報が入らない。だって海の方からやってくるわけで、情報所というか、見張りの施設が無いわけです。新幹線よりも二倍以上のスピードで飛んでくるわけで気が付いた時には日本の陸地上空を超えてたりもあるわけです。だからうんと内陸側に移ったようです。

女将の父親はこの部隊だったので、長崎の原爆の爆発を目にしたとのことです。

途中。なんだよ?これ「シーサイドライナー」だで。ワシらが乗ってるのとはえらい違うじゃん。とになぁ。

あら?ハウステンボス号もええのがあるがなぁ。ほんになぁ。

途中ハウステンボスの一部が見えた。ようもこんなの作ったもんだで。路線図を見ると「ハウステンボス駅」があるんです。これと同じような駅が次の日、門司港へ向かう佐世保線から鹿児島本線に入り「(臨)バルーンさが駅」てのもあった。ついでに佐賀駅の手前に「鍋島駅」があるんです。これって鳥取で云えば鳥取駅の隣に「池田駅」があるんと同じじゃない?おもしろいですよ。

佐世保に着きました。

改札口の手前から見える。Hさんがビデオカメラを構えてこちらを撮っている。そういやぁ鳥取でOB会開いたときにもこのカメラを持っていた。

そして教えてくれた。

佐世保は日本での最西端の駅だそうな。

いや、待てよ。このたび枕崎線の「西大山駅」が最南端だったし、二年前の「稚内駅」が最北端。ということは、あと最東端に行けば東西南北を征服することになるではないか。

いや、行かんで。

つづくです。

この数日間台風5号の影響で、河川の氾濫のニュースが流れました。幸いにも鳥取はさほどの被害はなかったようです。智頭町の警報、土砂崩壊避難勧告も解除されたようです。

しかし今日の雨を見てもスコールのようで、もう異常気象とかじゃなく、気温にしてもそうですが、かっての日本とはちがうようです。

先の日曜日8月6日は広島の原爆の日でした。私としてはゆったりした日曜日の朝でしたが、テレビは夏の平和公園での催しを映してました。これに比べて、こういったら失礼ですが、明日9日の長崎原爆の日はもう一つ一般の人の関心が薄いような気がします。私も含めてのことです。

さて7月12日の長崎平和公園へ私たち夫婦は向かっていました。長崎電気軌道に乗って出島を目にし、長崎駅前も過ぎ、そう、このブログで「浦上駅前」で降りたと書きましたが、間違いです。JRの駅としては平和公園へ一番近いのですが、路面電車ではそうじゃない。下りたのは「松山町」です。乗り合わせた中国語を喋る若い両親と子供二人の一家もおなじくでした。以前にも書きましたが、この家族、あつかましいような観光客ではなく母親は隣に座る小さな娘をいつくしんでいるのがよくわかる、ほほえましい一家でした。

停留所から歩いてすぐのところに平和公園入口がありました。広島では平地でしたが、長崎は丘です。

しかも、なんとエスカレーターが設置してありました。グラバー園と同じです。そりゃぁ、楽ですよ。エアコンはないけども。

いくつかエスカレーターを乗り継いで、丘の上に着き、歩くんです。あの有名ななんというの?片手を横に、片手を上にあげた像のある所を目指して荷物ひっぱりながら歩くんです。と、途中に刑務所跡のセメントの基礎部分が残してありました。方形の基礎のセメントからは建物の壁を繋いでたろう、たくさんの錆びた鉄筋が出ており、すべてが同じ方向に曲がっていたのではなかったか。こう、巨大な力で横方向に引きちぎられたような。70年を超える年月で黒くなったセメントのそんな地面でした。

この場所は爆心地から200メートルくらいのところでしょうか?ここはおそらくなにもかも破壊しつくされた場所でしょう。

で、噴水。水です。被爆者が求めたものは水でした。

「油の浮いた水を飲んだ」と、子供の文章が書いてありましたが、異常さに、痛ましいです。

そして長崎で象徴的な「平和記念像」です。これを見れば、長崎の平和公園に来たのだ、と、そんな気になります。像というのはすごいですねぇ。その意味の深いのは仏像がそうですし、桂浜の龍馬像も、極めて印象が深い。

天をさす右手は原爆の脅威を。水平に伸ばす左手は平和を象徴しているそうです。さらには原爆犠牲者の冥福を祈っているとのことで、さまざまな意味で長崎だ!と感じます。

ここまで来て、荷物もあり、暑いし、だいぶバテテる。でももう一か所くらいは行くで、と思ってた。ここからエスカレーターのところに引き返せば、最初に見た標識にある原爆投下中心地に行くのもわかりやすいだろうとは思ったが、でも、そうはしないで、エネルギーの無い冒険心で少し奥へ歩くと降り口があったので、その階段を下りたんです。

もと来た入り口付近に降りるんだと思ってた。

結論は違ってた。

しばらく歩くと、大きな浦上天主堂が見えてきた。だがそれは、また丘の上に建っている。階段が見える。これはかなわない。

ほら、ヨーロッパの城みたいですよ。え、また上がるんかい?右足の親指はしっかりと内出血のようになってるんです。

で、撤退ッ!と、路面電車の停留所はこっっちかなと、歩くんですが、どうも方向がちがってたようです。

このあたり地図も持って無いし、要は下調べがほとんどされてないわけです。だから時間の振り分けも少ししかしてない。時間的にここは昼までなんです。加えて暑さと私の体力の無さですねぇ。どうもどこに行くのも、まず体重を落とさないけんで。あ、でも二年前の礼文島は5時間歩いてた。そういえばその時も、今回も、女将は元気でしたよ。なんでかなぁ。普段は「あぁ、疲れた。死ぬかもしれない」などと云ってリビングに倒れていたりするのだが、いざとなれば、暑さにも、引きずる荷物にもめげずに元気なんです。

ひょっとして、これが女の人が87歳、男は80歳という平均年齢の差かもしれない。

見知らぬ街並みを歩きながら、工事をしてるのか?作業服を着ていた人に電車道を聞いた。これが期待以上の親切さ。観光センターの人のように分かりやすく答えていただきました。おかげで、やっと停留所へたどり着いたんです。このあたりずっとシャッターを押してない。そんなエネルギーはない。

ほんとは、まだみるべきところあるのにねぇ。

で、エアコンの効いた長崎駅の駅ビル(?)でしばらく休みました。次は佐世保へ行く予定なんです。すぐ近くにパン屋さんが見える。そこで昼食にとサンドイッチと飲み物を買いました。

長崎駅の写真も撮ってないで!なんということでしょうか!

つづきます。

 

 

昨日(8月4日)の昼前に孫たちは帰っていきました。鳥取空港を飛び立って羽田。そして成田。さらにはタンソニヤット空港と便利になったもんです。しかも、鳥取産の米とか、どらやきとか、できるだけの荷物と一緒なんです。暑いところへ帰っていったんですよ。ものすご静かになりました。

そして今日は朝の予報で鳥取は37℃とのこと。この時間まで実際に暑さが押し寄せる。通りにはほとんど人影がない。仕事も午前中でやめた。餡を炊いたのだ。これは暑いってなもんじゃない。暑い!!のだ。

さて、やはり暑かった7月12日(水)の長崎である。

寝にくい夜が明けて朝早く目をさます。画像の黒くつぶしたところのものは女将なのだ。宿の服というか寝間着というか、ここ特有のものを着て目をさましたところ。ほかの客は廊下だろうがこの服装で男も女も歩いているが、まぁ女将は神経質な女性だから黒でつぶしておきました。こうしとけば怒られないだろう。

さて、いつものようにバイキングの朝食で、そういやぁ、このホテルの売りが温泉なんだが、くたびれてて大浴場へは行かなかった。ビールもはいっていたし、そこまで行くのがめんどくさかったんです。

すぐ近くの日航ホテルで路面電車の一日乗車券を買って、あ、これって500円で売ってる。120円づつの小銭をそろえるのが面倒でこれを買いました。

何度も書きますが、路面電車ってのは、なんかいいですよ。これがある街もいいふうに感じる。

停留所で乗る側のホームに渡ろうとするときにちょうど電車が来た時には、なんと電車が一時停止して、運転手は「どうぞ。わたって。」と促してくれる。長崎の路面電車はやさしいのかな。

車体は古いのにエアコンは効いてるし、安いし、ま、ちょっと狭いけど、街の情緒みたいなものが感じられます。

で、8時すぎにはこれに乗り、グラバー邸を見学に向かいました。

一般的には「大浦天主堂下」で降りるんですが、我々はもう一つ乗って終点の「石橋」で降りました。

これは下調べの時にわかるんですが、動く道路があって、グラバー園の高いところまで行けるとのこと。坂を上らなくてもいい。わが足では下るばかりで楽であると書いてあったんです。だからなんですよ。

これがそう。「スカイロード」という。画像右に階段が見えるが。こんなの蒸し暑い中では登りたくない。こんなの登ったら、その時点で長崎観光はやめにしますって。体力もたないもんなぁ。

これがその道路の入り口です。

エレベーターに乗るのとまったく変わらんのです。これ一般道路として認められてるらしい。長崎だからこそだゎ。

斜めに上がり下りするエレベーターですよ、これは。もちろん有料道路ではありません。生活道路なんです。

1階とか5階とか云っていいのか、ようわからんが、表示も上下ではなく斜めに点いている。

下りるとすぐ目の前に案内表示です。鳥取の道路にも付いている表示板と少しも変わらない。

猫が先ほどの建物の屋根へ寝ている。人を恐れない。

画像の塔みたいなの、これに乗るんです。石畳の普通の道路に面してこれが建っているんです。

この辺り、草取りもかなり大変だで。足をすべらせたらどうする?

また寝ている猫。

で、今度はかっこいい標識ですよ。

ほらね、道路にエレベーターがひょいとある。これは普通の縦に上がるものでしたが、この「縦」のときも一般道なんでしょうねぇ。

人通りはない。我々だけですよ。このエレベーターを降りるとすぐにグラバー園の入り口がありました。

入園料を払っていよいよ「グラバー園」です。

あまりここのことは調べておかなかったんです。

グラバー邸があるだけだと思ってた。

ちがってましたです。いろいろな建物があるんです。

他の商人の建物もあるし、地方裁判所長官舎なんてのもあった。

エスカレーターまであったぞ。

なんかグラバーさんに対し、武器商人ていうようなイメージが強かったんですが、このブログを書くのに、改めてグラバー園のホームページを見ると、なんとも、すごい人物です。ましてやその息子さんもすごい。

息子さんは昭和14年までこのグラバー邸で暮らすんですねぇ。

そして昭和二十年の長崎の原爆には被爆したのか、どうなのか。

誰かきちんと本を書いてるのはないだろうか?

なんか時代、幕末からの日本、そして太平洋戦争と、グラバー親子の生きたドラマは日本を表わしている。

これ息子さんの表札ですよ。

もっとよ~く調べてから行けばよかった。そう思う。グラバーさん一家にはごめんなさいです。

ところで長崎ってのは造船の町です。護衛艦も修理なのかこの丘からみえました。

こういうテラスというか、ちょっといいですねぇ。余裕というのでしょうか。日本でいったら縁側かな。

このころになるとTシャツの背中側は汗でぐっしょりなんです。

荷物はホテルに置いてるし、ぐっしょりのまま、路面電車に乗り「築町」まで帰りホテルへ行き、そこで着替えました。すっきりしましたです。で、それが10時くらいかな。今度は荷物とともに路面電車に乗り、「浦上駅前」で降りて、さあて、もう一つの目的地である「平和公園」に向かったんです。

荷物が文字通りニモツになるで。

つづく。

 

 

 

これを書きながら鳥取は今日36℃になると言っていたがどうなのか。さらには孫二人が母親と三人で宿泊中なれば、ものすごく賑やかです。これが幸せというものか。我が家の飼い猫の「もなか」はあまり知らぬ、いわば外国人が同じ屋根の下にいるので、これは落ち着かない。

さて、7月11日の熊本だ。

熊本と云えば熊本城なんですが、地震で修復中のことでもあり、なんにも見ない。素通りなんです。だから鹿児島から少しは北東方向へ行ったものの、まぁ、北へあがりそこから長崎本線で西へ向かい長崎ということになります。400キロくらいだと思う。

くまもん、さらには熊本城に合わせているのだろうか?自販機も黒ですよ。

で、ここからは新幹線です。「さくら560号」に乗ります。15:35発で新鳥栖まで行きます。なぜ「みずほ」でないかというと、「ジパング俱楽部」というのに入ってるんです。で、まぁ、年寄り向きにJRの割り引きがあるんです。なんと3割引きです。これはおっきいですよ。だが、「みずほ」には割引がない。「のぞみ」にもない。さらには「はやて」にも効かない。これは割り引かないでも乗客がいるからなんでしょうねぇ。だから「さくら」とか「ひかり」に乗るわけです。今回は九州だから「さくら」となるわけです。

まぁ、早いですよ。翼のない飛行機ですって。静かです。安定してる。窓は小さい。景色はあまり見えない。車輪がレールを通して地面に接しているので安心です。ほんと。

新鳥栖から「かもめ」に乗り換えます。これってヨーロッパを走ってるものによく似てる。後で知ることですが、設計者の了解を得て製造したらしい。後日に小倉から乗る「きらめき」もそうらしい。デザインになんか楽しくなりますって!

このあたりも平野が広い。

さらには諫早の手前あたりだったろうか、干潟が広がっていた。干潮で漁船も腹を本来海底の地面につけて斜めっていました。いやぁ、テレビなんかでは見てたけど、この干満の差ってのはごっついで。

で、下りたのが長崎駅の手前、浦上駅でした。17:52です。

これは女将の企画で平和公園がこの近くなので、これからすぐに見学に行くという、最初の予定でしたが、いゃ、もうホテルがいい。エアコンが効いてゆっくりできるところがいい。それでここから路面電車です。これってどこまで乗っても120円なんです。庶民の足ですよ。それに路面電車ってのはなんかいいですよ。情緒がありますって。

次から四つ目に八千代町というのがあり、その次の停留所が長崎駅前でした。これを過ぎてしばらく乗ります。出島を眺めながらすぐに築町で下車です。ホテルはここから歩いてすぐのところにあります。かって稚内で泊ったときにこのホテルがよかったので、同じものを早めに決めてたんです。が、まぁ、稚内のそれほどではなかった。

部屋が12階。いろいろと見えるんです。

山の上まで住宅が建っている。噂通りです。これって買い物なんかでも自転車ではできないでなぁ。下りる時はいいけど、帰りののぼりになったら、だめだわ。

さらには長崎中華街がすぐ近くどころか、部屋から見えるんです。ちゃんぽんめんと、皿うどんをぜひとも食べなければならないのだ。

行ってみると、もっと規模の大きい通りだと思ってたが、そうじゃなかった。ましてや閉まってるところもあり、え?こんだけ?といった感じでした。

この通りを抜けると、孔子廟だろう(孔子廟ではなく、湊公園らしい。8月19日訂正)建物があった。で、引き返して、結局入り口にあった店へはいったんです。

注文は決まってる。だが、最初にトリアエズビールを注文し、さらには肴に春巻きを注文したんです。

いやぁ、このビールは口当たりが柔らかくて非常にうまかった。さらに春巻きもパキパキとしてうまい。ちゃんぽんめんも、皿うどんもおいしかったですよ。ほんと。ただパソコンなんかで見るちゃんぽんめんでは一番上にえびが乘ってるが、そしてこの店のウインドウの見本にはやはり乗ってたが、実際に目の前に来たものには乗ってなかった。この画像で確かめたがやはり乗ってない。乗ってたらもっとうまかったのだろうと思う。はは。

そして長崎の夜は更けてゆくのでした。

 

 

 

人吉へ着いたのが時刻表によると13:05だからこれよりざっと一時間前に、鹿児島湾を震源地とする地震があったのです。もっとも我々がきちんと知るのはこの夜宿をとった長崎でした。震度5強でした。そして鹿児島で泊ったホテルは鹿児島湾沿いで、けっこう震源地に近い。まぁ、震度5強は鳥取で味わいましたが、それは二階にいる時でした。だが泊まったホテルは7階でした。もしそこに2時間半ほどながくいたら、そりゃぁよく揺れたんではないかと、安堵の笑いというか、胸をなでおろしました。

さて、ここで「かわせみ・やませみ」の列車へ乗り換えです。これは球磨川を見ながら走るものです。これも山の中です。

「しんぺい号」と「やませみ」と「女将」です。

すべてオリジナルです。

どこかにもあるめずらしくない車体のようですが、色も、内部も独自につくりだした観光列車です。あ、女将は別。しかも本数の少ない肥薩線を売り物にしているんで、たいしたもんですよ。山陰本線も頑張ろう、です。山陰本線の海が見える車窓からの眺めは売り物になりますって。

人吉発13:20で、熊本着が15:01です。ここで新幹線に乗り換えて新鳥栖まで行き、長崎本線で浦上、そして路面電車で築町までがこの日の予定です。

まぁ、こんな列車はそうそうないので、やはりシャッターを押さなければならないような、乗客にとっては記憶に残るに違いない。

さて出発です。

もう来ることはないでしょう。

眠たい時は寝たい。鳥取に居る時みたいに昼寝が出来ない分、なおさら眠たい。口を横一文字に結んで寝てる。

球磨川は日本三大急流の一つだったか、人を引き付ける静かな山里です。

この辺りで見える空は青空なんです。梅雨が明けたのかと思ったりしたんです。

どうです?これは梅雨の空ではない。さらに熊本が近づくにつれてその平野の大きいこと。山陰の出雲も広い平野ですが、熊本の方が広いんじゃないかと思うんです。細川54万石だから、ごっついわなぁ。鳥取は因州、伯耆二国で30万石だから、なるほどと思う。で、鹿児島はそんなに平野はなかったが、77万石だそうな。なんでだ?

そして熊本駅だ。初めて足を踏み入れました。くまもんだわなぁ。実に単純な姿だで。鳥取のトリピーとか他にカニーラか?なんかもっと愛嬌がいるのかもしれない。

とにかく熊本に着いたのだ。

くまもんを見ることによって確信しました。

つづく。

 

カレンダー

2017年8月
« 7月   9月 »
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  

ご案内