いつの頃からか女将と云っていたんです。
礼文島に行ってみるか、と。
結婚して40年を超えて、その昔に行ったところへの郷愁というものでしょうか。
仕事が暇になる7月ということで予定をたてました。
この予定を組むときというのは楽しいもんですねぇ。
なにかクイズを解いているような、旅行を描くわけです。
大湊は青森県の陸奥湾に沿うた小さな町です。
49年前にここでインターハイがありボート競技で漕いだんです。
帰りにここも寄ってみるかとの、そんなのりでした。
それでその時のクラブの連中ににハガキをだしたんです。まったく期待はしてなかったんです。が、返事が返ってきました。おもしろいです。
結果からいうと、礼文島ではよく歩き、大湊では6人の参加クルーのうち3人がそろって居酒屋で飲みました。
さて、くるり百円バスで駅へ向かいました。
2,000キロ以上の道のりですが、普段目にする百円バスで出発というのがおもしろいでしょう?
ものごとってそんなもんだわ。
そして日本交通の長距離バス大阪行で三宮へ、次のバスまで1時間半あるもんで、ここで夕飯を食べるつもりの旅行予定だったんです。
と、ネットで調べた「おこのみやき」やら「うどん」やら店の前まで行ってみると、これが高い。値段が高いんです。
「なんでおこのみやきに1300円も使わなならんだい。」とばかりに二人ともほかをあたることになったのです。
ところが「そごう」に行っても、ない。
三宮の駅の周りをあちらへ行ってうろうろ、こちらへうろうろ。
これが今回の旅行の「歩き」のはじまりのようでした。
で、その途中で見た「串焼き」か、「ぶたまん」か、それでええだが、となり。
結局「ぶたまん」にきまって女将はその列に並びました。
そこは暑いんですよ。人も、車も多い。
5個で950円だったかな?
これはまたおもいきり安いですよ。
バス待合室のところで食べようと、しかし中ではちょっと遠慮しちゃうような雰囲気で、その前の花壇のふちへ腰をかけました。
冷たいお茶のペットボトルも買って来て、からしも付けて、一口目を食べ始めたんです。
それで、このぶたまん。とても美味いんです。
冗談ではなくてほんとにうまい。
量もあり腹も十分に癒えて、
二人は喜びました。
「こりゃぁAちゃん(神戸の妹)が鳥取に帰んさるときに買ってきてもらわないけんわ。」と言いながら食べる女将ですよ。
田舎者だからその待合室付近を離れない。
路に迷ったら次の舞鶴行のバスには乗れないわけです。
いやぁ、同じ花壇のふちへ腰かける人は我々だけではないですよ。
そうそう、中国縦貫道で舞鶴方面事故につき渋滞とでていたので、この三宮で係りの人に聞いたら、「大丈夫です。いままでフェリーに間に合わなかったということはありません。」とのはっきりした答えでした。安心でした。
そうです、41年前と同じく舞鶴よりフェリーに乗り小樽まで行きます。
鳥取駅前を15:40に発って、三宮は20:00発で、舞鶴からのフェリーはあくる日の00:30発です。
スピードのある京都交通のバスで22:10にフェリーターミナル着です。
舞鶴はけっこう大きな町ですよねぇ。
東舞鶴、西舞鶴とかで、居酒屋も明るく目立ちました。
おぅ、自衛隊の町だで。
海上自衛隊の護衛艦が明るい時に国道を通るとしっかり見えますよ。
今回乗る船は15,000トンの「はまなす」というもので、40年昔も同名の10,000トンのものでした。
いつもなら私はもう寝ている時間です。
この日はしっかり起きてます。
でかいです。
船は、今回はツインの部屋で、そう、割引が有ったりして、安価です。
ホテル代がいりませんのです。
揺れるけどねぇ。
これが乗船券ですよ。
さぁ、乗船です。
ここ舞鶴は海上自衛隊があり、そうそう、日露戦争の時にバルチック艦隊を倒した東郷平八郎はここの司令官をしていたのが、急に日本艦隊の司令官になったのですよ。
鎮守府がおかれていたんですよねぇ。
そんな歴史が、ここからフェリーを出しているんでしょう。
賀露港じゃないな。
まだ寝ている者もいる。
これ、ちょうど旅客機に乗るときのゲートと同じです。
で、乗船です。
まだ揺れない。
さぁ、いよいよ船旅の始まりです。
いや、まだ時間がある。
まず部屋に入って、ビールを飲まにゃいけんがなぁ。
酒の肴も買った。
ビールはすでに北海道限定のサッポロクラシックです。
ぐっとやって00:30の離岸を待つのです。
外は深夜です。
Comment feed