鳥取は今日梅雨明けだそうで、35度を超えたようです。
光の強さがさすようです。
目に入る風景もクッキリカラーといった夏模様です。
さて、5日に鳥取を出発して、6日の夜21:50に小樽駅前着です。
夜だから41年ぶりの駅周辺ももう一つようわからん。
予約しているホテルを探す。
駅近くのこのホテルは以前とは名前が違うんですが、かなり前、10数年前に4代目が一人旅をしたときに泊まったホテルだったんです。
そのまま改修もしていなかったわけではないと思うけど、狭い、古い、きれいでない、安いといった、まぁ、でも、ベッドはきれいでした。
夜は遅いし、早々に風呂に入って血圧測って寝ました。
朝はゆっくりで、小樽発11:34です。
41年ぶりの小樽確かめの時間です。
荷物はホテルへ預かってもらって、まずは小樽運河です。
これって41年前にはぜんぜん有名ではないし、その時は30時間以上の乗船で早朝に小樽港へ着き、歩って駅までいったんです。
今回は逆方向で、駅から運河の方向へ歩っていきました。
その時には石造りの建物とか、倉庫を目にし、これはええでと記念写真を撮りました。
そしてこのたびの別な倉庫の写真ですが、建物を利用してレストランとかになっている。
ホテルを出ると昔風の建物がすぐに目に入るんです。
この建物の前で写真撮ったんと違うか?と二人で言ってたら、若い夫婦が話しかけてきて、実は昔新婚でここに来て‥‥。と話す‥‥。
と、その若い嫁が「写真撮りましょうか?」「じゃぁ、お願いします。」と撮っってもらったのが次の写真です。
まぁ、鳥取に帰って昔の写真と照らし合わせるとどうも違った建物だったようです。
で、昔の建物をグーグルアースで探すも、、ないんです。
中央通りを歩くと運河まではわかりやすい道なので、まずは現代小樽の観光です。
あるんですねぇ、歴史的な建物が。
建物だけで観光地になれますよ。
でもきっとこれまでに古い建物を開発の名のものに、たくさん壊したんじゃないかと思います。
それでも石造りだから残ったんでしょうねぇ。
鳥取も明治の初めから、いや、江戸時代から石で道路も、建物も作っておけばよかったのにねぇ。
これこれ。これって鳥取の山白川の通りに似ていると思いませんか?
「仁風閣」風の建物が居酒屋さんとかになっています。
なんか贅沢です。
こういう石の倉庫を歩っていると、今は運河が近いと思うんですが、昔はそうは頭が回らなかったんです。
でも写真は撮ったんです。
どうよ?これって倉庫だと思いません?
運河はたぶんこの奥なんですよ。もっとも雑草ぼうぼうの川があるだけだとは思うんですが。
で、運河です。
どうだ、これが有名な小樽運河だで。
都はるみの歌にもある運河だで。
もっと長いもんだと思ってたら、違ってた。
そんなに長くはなかったんです。
で、どうやら世界各地から観光客が集まって来てるんです。
特に中国語が頻繁に耳に入りました。
中国パワーはすごいですよ。ほんに元気なゎ。
で、昔と同じくここから駅方向へ歩っていくことになります。
似たような建物はけっこうありますです。
で、41年前は早朝小樽へ着いたもので、とぼとぼ歩き、商店街を通ったんです。
腹はへっているし、食べ物屋を探したんですが、朝早いのでなかなか無かった。
一軒のめしやのような小さな店でおばさんが開店の準備をしてて、そこでやっと朝食を食べることができたんです。
鳥取から来たと告げると炊きたてのご飯を大盛りでつけてくれました。
だが、この商店街もわからん。
二つの商店街を歩ったが、皆目わからんのです。
なんでもいいから一つくらいなんかがあればと思うものの、ないで。
そりゃそうだわなぁ。
41年まえのめしやのおばさんが、また飯食べさしてくれたら、これは妖怪だで。
我々も孫のある歳になってるしねぇ。
で、最後は小樽駅です。
かって駅から町の方を見て写真撮ったのです。
ひょとしたらなにか雰囲気でも通ずるものがあるかもしれないと、41年前と同じような場所からシャッターを押したんです。
まず昔のもの。
バス停がたくさんあったんです。
どう?ぜ〜んぜん違う。
これが41年というものですよ。
で昼食用に列車で食べるために、駅のインストアベーカリーでパンを買って札幌、そして稚内行への準備万端整えて、待合室の椅子に腰かけていたんです。
そのとき、
「JRご利用のお客様へお伝え申し上げます。さきほど千歳線の平和駅で人身事故があり、各列車が運休しております。復旧のめどはたっておりません。お急ぎの方は駅員へお確かめの上バス等のお乗り換えをお考えください。ご迷惑をおかけし申し訳ございません。」と駅構内に響いたのです。
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