昨日、忙しくくりまんじゅうを焼いてたんです。
電話もけっこうかかってくるんですが、その一本にたおちゃんが掛かって、私に変わったんです。
鳥取県の丹比にある窯元からでした。
「KYが亡くなった。ホテイ堂にはKが世話になっとるけぇ知らせとかないけんとおもってなぁ。」
KYさんは40歳前でした。とてもとてもいい娘だった。
このKさんが鳥取に来たのはいつ頃だったか?20年は経ってないと思う。
一人で鳥取へ来て、電話の主の窯元へ弟子入りしたんです。
そのあいだ何度も弊店へ来ました。
とにかく努力家で、気持ちはしっかりとしたやさしい娘でした。
金がなかった。
あるのは若さでした。
その頃知り合いの何人かで大丸の地下で展覧会をやってたんです。
木工もある、焼き物もある、私は和菓子中心の展示でした。
その店番に女将と一緒にやってたんですが、女将が肉を料理して持っていってやったんです。
なんせ金がなく住んでる近くに生えてるクレソンなんかも食べてたんです。
そんなにもして自分の生き方というか、こうしたいというようなものを探していたと思うんです。
「Kちゃんお昼にでもこれ食べんさい。」と渡したんです。
若い体の欲求は強かったらしく、昼にならない時間に、
「あの、これ食べていいですか?」との言葉。
屋上へ行って食べたようです。
美味かったと思う。
鳥取の修業を終えて、茨城県の笠間市の窯元へいきました。
一生懸命だから可愛がってもらえたと思うんです。
たまにJRの青春18切符で鳥取へ来ていました。
空山にあるポニー牧場へ泊まって、そこから軽自動車を借りて、大丈夫かと思えるような下手な運転で弊店へ来ていました。
道路もきちんとはわかってないのに、とにかく来ちゃう。人生、前ばかり向いてたのかもしれません。
そのころに焼いた湯のみが我が家にありますが、まだ荒いものです。
で、その後、いよいよ、一人で窯を開くんです。
三浦半島の真ん中へんです。
そうなるとだんだん弊店とは疎遠になるのですが、もちろんひょいと来れば、あら!とばかり親しい関係です。
便りのないのが元気なしるしと、そんな感覚でこれまで過ごしていたんです。
で、昨日その師匠からの電話でした。
亡くなったなんて合点がいきませんって。
名前をネットで検索すると以前は出てこなかった作品の数々が出てきました。
さらに逗子、会津、岡山で作品の展示会が予定されてたようで、ブログの最後は3月3日でした。
そのブログには体の調子が悪いと記してありました。
4日には医者に行くんですが、その医者には原因が分からなかったようです。
結局13日に脳炎で亡くなるんですが、これからやっと認められる時がくると、自分の世界を作り、それが世間に認められる時が目の前だったのにと思うんです。
残念としか言いようがない。
我慢強く、人にはそうそう甘えないで、いつも人懐っこい顔してました。
亡くなっちゃいました。
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