とにかく歩くんですが、雨も降らず、いや、小さな雨はあった。
カメラにかからないようにいっそカバンにしまったのですが、それだけでなく少々疲れたかな。
シャッター押してない。
その間まず目に付いたのが最初のうちは農家の長屋門です。
塀はもうなくなってるものの門は残っているのがある。
どの時代に作ったものだかわからないがたいしたもんです。
蔵もあった。しかも修理されてしっかりしたものです。
それと川の修理です。
途中橋が臨時の橋のとこがあった。
その近くに以前の橋、、、と、無い。流されたようです。
で、記憶が、そうだ佐用川が大雨で氾濫。かなりの被害があったと思い出した。
列車で智頭から川の流れが列車の行く方角へ変わり濁った川が見えたのはこれがためですよ。
さらに村に入る道路の橋が無かったところもあったんです。
すぐ近くには民家があるんで、これは、大変な恐怖であったに違いない。
我々が歩く道路は後で地図をみると373号線です。結構車も多い。そりゃあそうだわいな。関西方面へ行くのにはここを通るもん。
中国縦貫道へ乗ったら半分着いたような気持ちにもなるもん。
途中智頭急行㈱の一両列車が智頭方面へ走っていった。
佐用で一度は乗ろうと最初考えた列車だ。
と、いうことはあれから70分過ぎたわけだ。
おう、けっこう歩っとるわい、と、思ったもんですわい。笑いながら。
「しょんべんしたいっちゃ。」
「わたしも。」
だけどトイレなんてない。あるはずもない。肌寒いんですよ。歩くほかは無い。まだ余裕はある。
と、平福という標識があったんです。でも何キロとかは書いてない。
歩く。
平福1kmとの、標識が、これをすぎる。もう近いで。そう、鳥取でいえば女将の実家までの距離だが。すぐだで。
目にはいってきたのが宮本武蔵が始めて果し合いをした場所なんてのがあって、ここは竹矢来があって野仏が幾体もおいてある。処刑場だった。
む、こんどは看板。
旧道ですよ。もちろんこちらを歩く。
途中工事のおじさんに教えてもらった道の駅ももうすぐだとこのとき思うんですよ。
トイレもある、なんか食べれる、飲めれる。
因幡街道って提灯に書いてある。だからそうだと思ってた。このときは。
あとで地図をみると智頭街道って書いてある。なんか鳥取の町の商店街を思い浮かべたんですよ。
で、考えりゃぁ、どっちも正しいかなと思う。間違いはない。智頭そして因幡へ通ずる道である。
歩ったんでしょうね、因州藩の人たち。鳥取の久松山の近くに暮らしていた藩の人たちですよ。
大変だと思う。
1年ごとに江戸まで750キロですよ。刀が大刀でざっと1キログラムそれに脇差がある。腰も痛くなるんじゃないかな。
殿さんも大変。だって籠にじっと座っているのもかなわんで。さらに費用。
とにかく徳川さんはえらいことをおしつけたもんだ。
この宿場町には昔の風情が残ってる。
こちらの岸は壊れてないんです。でも対岸は石垣が崩れていたりしましたです。なんでかわからんが、、、。
でそろそろ宿場町の家並みも少なくなり、たこ焼きの店が見えてきて、右がどうも駅。道路渡れば道の駅。
おうおう、ここ渡れば道の駅。
「おい、用心してわたれいよ。車に気ぃつけよ。」渡った。
トイレにいって、レストランマーク見つけて中にはいると、いやぁかなりの人ですよ。でもはいれた。
時計を見ると1時間ほど次の列車には余裕がある。
ちょうどいいタイミングとばかりに、まず注文です。
「あんたも飲むか?そうか、そうか、ビール、生二つ!!!エ?うん、中二つ。」
そしてとんかつ定食も二つ。
ビールが来たとき二人は喜んだ。
サッポロビールですよ。これがわれわれは好きなんです。いまどこでもアサヒドライですが、そうなぁ、夏の最初の一杯はいい。キレがある。でもこくがないような気がする。まあ、好みかな。サッポロはめったに出てこない。ましてや売ってないところも多い。まあ、飲んでみてください。サッポロ黒ラベルはうまいから。
ビール、こりゃぁごっついうまかった。二人とも「うまいで、、、ああうまい。」とおもわずの声。
窓の外には平福駅が見える。りっぱな駅が。
つづく。
Comment feed