三月なのに、なにか暇。
天気はいいし賀露に出てみた。今日の午後。若いもんにまかしてです。真面目な私としてはこんなことないことですよ。
出てみれば気持ちのいいものですよ。霞んではいるものの、そう、春らしい空。打ち寄せる限りない波。なんか考えるのってバカみたい。そんなことも感じたんです。
海岸を歩いていると、東京便が飛び立ち、なんだ?ヘリコプターがなにやら訓練してる。
ふだん車で入る道路は進入禁止。
溜まった砂を、海岸をパワーショベルで整備してるんです。
歩くのが一つの目的だったのが、でも、最初から砂の上を歩くのか?とちょっと不安。
ま、でも、ゆっくりと波の、海の写真撮りながら歩けばいいかと、二キロ程歩いたんです。
きっと痩せてる。
で、なにが印象深かったかっていうと、鳶でした。
もう帰ろうかと引き返していると、最初カモメが一羽飛んでいて、これに気がひかれたんですが、撮るひまもなく、行ってしまいました。
次に来たのが鳶でした。
これってかっこいい。
私と女将のすぐ上をじろりと一瞥してゆうゆうと風に向かって飛んでいきました。
その姿、かっこいい。
海より、鳶に心奪われました。
九日の深夜ですよ。私の携帯、ガラケイが手の届かぬ机の上でボーッ、ボーッ。と震えて鳴り出した。真っ暗な中ですよ。「誰だいや?こんな夜中に?ほんにええ加減にせいよ。あ、それとも身内になんかあったのか?」急ぐも真っ暗。スタンド点けて、ベッドから体を起こし、携帯探し、手に取って、開こうとすると、、、、「ボーッ」、が鳴り終わった。「なんだよ、もっと電話し続けんかい!」と開いた携帯を閉じたら、すぐにガタガタと揺れだした。
「オゥ!地震だがないや。え?揺れとるがな?まさかこれ以上の揺れはないだろうなぁ。」などと思っていると、とりあえず揺れは止まった。
見れば椅子の上に寝ていた飼い猫「もなか」も掛けていたジャージを顔を見えるだけはねのけて、こちらを見ている。
すぐに手元にあるテレビのスイッチを手に取って、テレビ点けたんです。なんか番組をやってたが、地震の事はまだやってない。文字で地震があったと出てきた。
それによると01;32頃地震があったとのこと。後震源地は島根県大田市とのことでした。一度ここの大森町を歩いたことがあるんです。江戸時代の建物も残ってた。
まぁ、鳥取は大丈夫だろうと、寝かけた。そしたらまた揺れた。揺れ戻しかと思ったが、ま、大丈夫だろうと、隣の部屋に寝ている女将のところへはいかなかった。
この前日は日曜日で、しっかり昼寝もし、賀露海岸にも行き、午後7時前には風呂も沸かし、さらには風呂からあがると晩酌もし、夜のディナー(?)も食べて、日曜日の小さな幸せを味わってたんですよ。
ただし、「好事魔多し」というのか、頭の隅になんかなぁ?不安?ええことばかりは続かんぞ、と、そんな言葉というのか、もやもやとあったんです。
具体的なのは、地震とかでそのユッタリジカンが打ち砕かれるようなそんな想像映像です。
地震ほど我々にとってどうしようもない自然現象はないもんですよ。
ま、でも、鳥取は震度3でした。
大田市は震度5強だとのこと。被害も出てる。でもボランティアの受け入れの準備もしてるとのこと。日本にはいい人がたくさんいるのだ。
(画像少し白黒にしました。どうでしょう?)
四月ですねぇ。もう四月。
数日前に知りあいのS銀行支店長が転勤になると挨拶にみえました。あれ?ついこの間支店に勤めることとなったと挨拶に来たばかりではなかったかと思うんですが、二年たっていました。
そのあいだワシは何をしていたのだろうかと急には覚えていない。
これは玉手箱を開けたような、そんな感じ。もっとも竜宮城なんぞにも行ったこともないが。
で、月が変わったのでG寺の掲示板ですよ。
「いのちはひとつ 人生は一回」とな。
これは、そうだと言わざるを得ない。確かめたわけではないが。確かめれないしなぁ。
でもなんか生きるのにせかされる感じもあるでなぁ。
そうなぁ、遊ぶのも大切なんだとも思う。
これを見た同じこの日、四月一日はいい天気でした。
エイプリルフールにもかかわらず、残念なのは嘘もつかなんだ。
はは、これがものすごい嘘かもしれないが。
で、G寺の掲示も変わっているだろうと、配達の途中に通ると、やはり真面目に新しい言葉が書いてあったわけです。住職はA型かなぁ。
賀露港にも行ってきました。私も少しエネルギーが溜まって来たようです。
あ、倉吉での知り合いの展覧会にはよう行かなんだ。なんともです。ごめんなさい、です。
さて、賀露。いい天気で、魚釣りをしてる人が、幸せそうです。
そしてロケットも打ち上げを待っていた。
どうもCIAによると、賀露は近くロケット打ち上げの基地になるらしい。JAXAもそう言っているらしい。
この日は4月1日でした。