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鳥取は35度の予報です。窓の外の陽光も瓦の反射がきつい。

さて、とうとうこの旅行も最終日の八日目です。

7月12日の日曜日です。

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いかさま高齢者となると朝早くに目が覚める。04:30。

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もうここには来ることもなかろうと思う。

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今回いくつかホテルを利用しましたが、ここのホテルが一番気持ちがよかったと思います。

スタッフの対応が、掃除の係りの人も含めてとても丁寧でした。

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朝はバイキングの朝食で、おいしく召し上がりました。

そして08:05発の「快速しもきた」です。

ボート部全員というか、3組ともはからずも同じ出発でした。

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これは是非撮っておきたいと思ってた手作りのポップです。

このホテルの真面目さと丁寧さなんです。

斗南藩の子孫かもしれない?

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ま、一応ロビーに集まって、駅まで。

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はは、目の前が駅です。

歩って15秒くらい。

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H夫妻はすぐの駅、「下北」で下車し、レンタカーで十和田湖へ行くとのこと。

その後北海道へ渡り、道東の観光だそうです。

Kさんは仙台に実家があるんですが、都合がありまっすぐ横浜へ帰るとのこと。

我々夫婦はこの大湊から一気に鳥取まで帰ります。IMG_4120

この端っこの駅ともおわかれですよ。

いい天気でよかったです。

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あとの三人ももう来ることはないでしょう。

49年ぶりの大湊はよろしきところでした。

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「下北」です。

十和田湖は49年前に行ったんです。

普段鳥取の湖山池で練習していた我々にとって、とても水の青いきれいな湖でした。

その十和田湖で顧問として来ていたN先生が鱒(?)を肴に、おいしそうに酒を飲んでいました。

試合が終わるまで誰にも言わず、どうも願かけていたようです。

毎日飲みたかったろうにねぇ。

成績はどうだったか?

私は出場クルーの半分より上だと思ってましたが、居酒屋での話で、4艇レースだから十何位にはいってるはずだとのこと。

半分より上と十何位とはイメージ的にえらい違いだで。

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大湊という「点」で会って一晩一緒に酒飲んだわけです。

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我々の目的もすべて終わり、あとは鳥取へ帰るだけ。

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いや、ちょっと、東京で1時間あるので東京駅を見る予定です。

昼食も食べねばいけない。

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まず東北新幹線の「はやぶさ」へ乗ります。

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この電車が初めての指定席です。

これまでの特急すべて自由席だったんです。

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なるべく安く旅をするにはと、JRの「ジパング倶楽部」にはいり、2割から3割の割引なんですが、すべて自由席なんです。

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ところが「はやぶさ」は全席指定です。

これでないと時間的に鳥取へ帰るのがおそくなるんです。

これは新幹線「のぞみ」にも次に乗るんですが、割引が利かない。

「ひかり」に乗れば割引が利くんですがねぇ。

でも時間を考えると仕方ないのです。

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「のぞみ」と「ひかり」は東京、京都間で30分の違いなんですが、乗り換えにそれなりの時間が欲しかったんです。

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そして早く鳥取へ帰りたい。

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疲れてますって。

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新幹線の高架も見えてきた。

八戸は近い。

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目を覚ましたで。

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八戸です。

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09:42着で、1016発です。

東北新幹線「はやぶさ」に乗ります。

これもおそらく初めてで終わりでしょう。

これからも来ることはないと思う。

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初めて来た。

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来たらば土産も買わなならんですよ。

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このホームでKさんには「じゃぁ、これで。」とお別れを言いました。

我々は6号車でKさんは8号車だったかな。

少したつと緑のカモノハシの「はやぶさ」が目の前にはいって来ました。

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新幹線というのは翼の無い飛行機ですよ。

窓も小さくずっと沿線の壁も多くて景色もあまり見えません。

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もちろんスピードは速いですよ。

3時間弱で東京に到着です。

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ま、しかし、早いからといって、飛行機にはあまり乗ろうとは思わない。

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値段も高いが、足が地についてないし、窮屈ですよ。

居眠りしてたら、上野でKさんがわざに私の座席まで来て、「さよなら」を告げにきた。

来年鳥取に来るからまた飲もうと思う。

今度は九州のHさんも一緒だで。

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気がつけば東京ですよ。

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丸の内のほうへ出れば新しくなった東京駅が見えるんです。

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オランダのアムステルダム中央駅を見本に造ったとのことですが、そうかな、と思う。

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いかさま人が多いわい。

二度まで女子高生からスマホのシャッター押してくれと頼まれた。

函館山でもそうだったが、どうも、害のない爺さんに見えるらしい。

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で、ここで昼飯の予定であったんです。

一昨日に餡を炊き、昨日には「因幡のくりまんじゅう」を焼いて、連日30度を超えるなかでですよ。

体力はマイナスにもなります。

今日はまた餡炊きです。

エアコンなんてまったく役にたたない、というか、エアコンがかわいそうです。

いまだに腰が痛くて、それでもブログです。

第二の目的地、大湊の暑い通りへ出たところです。

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49年前の、何かないかと、歩くんです。

当時泊まった宿は小さなもので、夕飯の時歳とったそこの主人が、なにか話してくれたりしたと思うのです。

さらにこの時が納豆との最初の出会いでありました。

よう食べんかった。

他の高校の、それも女の子のボート部も同じ宿だったので、風呂は我々はそのあとだった。

その女子は我々の女の子の概念を超えた体の大きさで、そのぶん、普通の大きさのマネージャーが可愛く見えたものでした。

今回泊まったホテルの6階からはすぐ近くに見えた海へ行く道がなかなかないんです。

暑いのに、また予定以上の歩きです。

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略図を持ちながらも、迷ってけっこう歩きました。

まぁ、この迷ったのが夜の居酒屋へ行くのには役に立ちましたが。

そう、迷わずに、すぐに行けました。

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ほらね、これが斗南藩の人々の上陸したところです。

いや、ここだけではないですよ。

岩手県にだってあるんです。

共通するのは、大変な苦労です。

寒さと飢えです。

かっての会津24万石の藩士そしてその家族が3万石に減らされて、この辺りに移住したわけです。

幕末に京都守護職になったのが、戊辰戦争に負けて、その結果がこれです。

保科正之を祖とする会津藩士といえば文武に真面目で義理堅いそんな藩です。

全く文武とは縁のない徳川の旗本とはちがう。

悲劇ですよ。

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大湊駅とホテルです。

こんなに近いのに、すぐの道がない。

しょうがないので、歩ってやるがなぁと、覚悟を決めて暑い中歩ったんです。

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で、やっと涼しいホテルに帰り。

さぁ、することがない。汗もかいたし、替えのシャツもあと一着だったはず。「洗濯したらええかもしれんでなぁ。」と言ったんです。

「洗濯はせんで!するんならあんたがしんさいよ。」

「ワシでも洗濯するわいな。洗濯せなぁいけんもんを出しんさいな。」

女将も疲れているんですよ、どうも。

袋に入れて一階へ降りて、受付で聞くと、洗濯の仕方を丁寧に教えてくれました。

ただ、乾燥までするわけで2時間半ほどかかるとのことでした。

と、そのうちに鳥取からの夫婦も到着となりました。

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で、暗くなったらいけないんで、すぐにタクシー頼んで、かってコースがあっただろう海へ見に行くことになり、洗濯物はホテルの受付へ、帰ったらしまい込みますんでと頼んで、5人で出かけたんです。

鳥取からはH夫妻、横浜からはKさん、そして我々夫婦です。

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むつ市の職員から聞いてた「海望館」へまず行きました。

出来て間がなくて、これはタクシーの運転手も知らなかったです。

そのコースがあったところが、今は自衛隊の管理地になっていて、それでも、ここに上がれば、その海は見えると手紙にあったんです。

ここを教えてもらっててよかったです。

現場というか、かって路線バスを降りて、自衛隊の水兵服を着た隊員から敬礼を受けて入った競技会場は現在はフェンスで道路とは仕切られ、木も植えられてほとんど海は見えませんでした。

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クルーの三人で、あのあたりだで、とか、いや、あっちだった、とか、49年は記憶に残るのには永すぎる。

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しかしこんなに近くに来たのは確かなわけで、よう来たもんです。

時間にしても、距離にしても、えらく遠いところでした。

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より近づきたいという気持ちか、それらしきあたりへまたタクシーを走らせるも、どうも、違うような。

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こんどはバックして海の近くへ降りました。

コースはこの画像のもっと奥ではないかと思うんです。

でもまぁ、ここまでくれば満足ですよ。

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漕ぎ手4人の内亡くなった1人を除き3人がかってのコースの近くにそろいました。

ホテルに帰ると、まだ洗濯が終わっていない。

乾燥機が回っているんです。

鳥取からのH夫妻に聞くとシャワーよりも居酒屋へ行こうとのことで、受付へ洗濯物を頼むと、籠へいれておくからとのことで、頭をさげて感謝いたしました。

これから居酒屋ですよ。

ホテルから紹介を受けてたんです。

地方の活性化を図っているとのことで積極的に紹介をされたんです。

そこへ先頭にたち、迷わずに案内したのは私です。

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なんせ鳥取から、横浜から、我々は函館からと、遠距離を来て、さらに49年前ののコースを探して、その夕方です。

みんな迷わず「とりあえずビール!」ですよ。

居酒屋もジョッキをよく冷やしたものへ注いでくれます。

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美味かったですよ。

下北半島の大湊らしい小さな、夫婦で営む居酒屋でした。

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こんなところで、いわばOB会なわけで、もうここではできないでしょうねぇ。

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楽しく、賑やかに、飲ませていただきました。

乗り物続きで頭はふわふわしてましたが、このビールはおいしかったです。

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結局奥様達のほうがビールには強かったようです。

蒸したてのじゃがいもに塩辛をつけて食べるんだと、サービスを受けました。

さらに値段も鳥取よりかなり安かった。

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一番乗ってたのは女将ではなかったでしょうか。

ホテルへ帰ると洗濯物がちゃんとなっていました。確か、そうだったと思う。

で、あくる日ははからずも皆が、同じ列車で大湊を離れることとなるんです。

暑いですねぇ。

今日の昼前鳥取へ来ていた孫たちが帰りました。

「特急スーパーはくと」でした。

改札口と階段をあいだに、お互いずっと手を振っていました。

さて、野辺地駅です。

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地元の食堂で昼食したるも大湊行列車発車にまだまだ時間がある。

駅の待合室ももう一つ風通しが悪い。

で、ホームに出ていてもいいかと人の良さそうな駅員に問うと、次の列車は八戸行ですから間違えないようにと心配そうに注意してくれた。

で、ホームの、これは立派な待合室で文庫本をひろげるんですが、冬の風雪を考えて、りっぱな待合室が作ってあるのだろうと思う。

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窓を開けたら、だんぜん風の通りがいい。

しばらくここでゆっくりと時間をつぶす。

田舎の駅というのはゆったりと気持ちがいいものですよ。

ほんとは昼寝したいが、このベンチでは無理だ。

そのうち、なんか、列車の気配。

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貨物の電車でした。

目の前をスピード出したままで過ぎていくんですが、なかなかかっこいいです。

人に媚びてないデザインで気持ちがいい。

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と、駅の待合室の客、高校生とかを相手にラーメンや、うどん、そばを作っていたかわいげな女性が、勤務が終わったらしく、ホーム側に出て、昼食を食べてた。

思うに鳥取でもなかなか勤め先がないが、ここでもそうだろうと思ったり、数少ない若い女性はきっと引く手もたくさんあるだろうと、思ったりして、私はどうも暇だった。

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青森から乗って来たあおい森鉄道の列車が到着。

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そろそろ我々の乗る快速「しもきた」も来るんじゃないかと、文庫本をしまう。

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誰もいなかったホームにも人が増えて来た。

この次の列車がJRの「しもきた」のはず。

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しばらく待つ。

影に居ればそれなりに涼しいんです。

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そら来た。

これに乗れば下北半島の終点、大湊駅まで行きます。

ざっと一時間で着きます。

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運転手が一人余分に乗っているようです。

鳥取の「智頭急行」と同じじゃないかと、JR線ではJRの職員が運転し、智頭急行線では智頭急行の運転士が運転するんです。

ここもJR線と「、あおい森鉄道」線があるわけで、そのたびに交代してるんじゃないかと、たぶん、そうですよ。

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この画像、どうなん?

補修用の車両か?と思うんですが、ダイハツのハイゼットの運転席というか車の前部だけが付いてる。

しかもきれいに塗装され直してあるんです。

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で、終点の大湊です。

地図では海ぎわを走っていますが、多く木々で両側はかこまれていたような、そんなだったと思うんですが、いや、違うかもしれない。

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ほらね、終点なんです。

よう来たもんだ。

本州の端っこの駅ですよ。

もう来ることはないと思うんです。

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これが駅。

49年まえの記憶はまったくない。

ホテルはこの駅と隣接していました。

午後二時過ぎで、チェックインは三時からなんですが、部屋へいれてくれました。

で、後の二組は午後五時でないとそろわないので、それまでになにをするか?

というか、他の連中がまさかここまで来るとは思わなかったので、旅行計画時点では、われわれだけでこの日、元競技会場へ行ってみるつもりだったのです。

だから余裕を取って早く着いたんです。

だがその後参加者が二組あるとなって、それがそろい終わるのが午後五時なんです。

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まず荷物を部屋へ置いて、近くを散策することにしました。

特に斗南藩の人々の上陸地点がすぐ近くなんで、これを見ておきたいと思ってたんです。

で、北海道からずっと晴天続きの大湊の空の下へ出たんです。

49年前、宿の近くへパン屋さんが開店したばかりで、毎日のように、サンドイッチを買いに行きました。

苺ジャムやらピーナッツバターをたっぷりと塗ってくれたんです。

美味しかった。

通りへ出てすぐにそれかな?と思ってすぐ近くのパン屋さんへはいりました、とりあえず、ソフトクリームを求めて入ったんです。

若い女性店員さんでした。

「このパン屋さんて創業はどれくらいですか?」

「さあ、わかりませんが、古いですよ。」

結局昔のサンドイッチのパン屋さんか、どうか、わかりません。

もう一つ、そのパン屋さんへサンドイッチ、すなわち惣菜パンだけでなく、弁当、総菜、で、ソフトクリームも売っていました。

これって消費人口が少ないのでしょう。

いろいろ扱わなくては成り立たないわけです。

その付近では大きなビルでした。

かなりな努力だと思ったんです。

つづく。

さて函館から青森県は下北半島のやはり終点の駅、大湊へ向かう7日目の旅です。

IMG_3936函館駅で切符の販売機で一人210円の切符を買いました。

この前日に函館駅で稚内→函館の乗車券をみせて途中下車しようとすると。

ちょっと待てとの指示で、聞けば一人210円を支払わなければならないとのこと。

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鳥取で手配した切符は簡単に稚内から大湊までで、これだと函館の手前の五稜郭を通って津軽へ行くこととなります。

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函館本線の函館はちょうど盲腸のようなところへあり、五稜郭から函館行の切符を買わなければ函館へは行けないのです。

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だから、函館から青森へ行こうとすると、また210円を支払わなければならないわけです。

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まぁ、鳥取の旅行社も気がつかなんだわけですよ。

で、現在はここも終着駅です。

以前は青函連絡船がつながっていたんでしょう。

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白鳥16号08:08発です。

青森、野辺地そして大湊が13:59着で、6時間ほどです。

昨日稚内で洗濯物と土産を鳥取へ送ったので少し軽くなったかばんで、女将の笑顔も軽くさわやかなようです。

ここ函館にはもう来ることもないでしょう。

昨日の札幌から函館までの北斗10号の混み方を嫌って、この朝は早めに駅へ行ったのですが、なんのことはない、まったく混んではいなかった。

もう一回はこだてラーメン食べておきたかった。

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さてさて、まずは青函トンネルでしょうねぇ。

女将はこれを渡りたかった。

関門トンネルは昔に歩って渡った経験があるんです。

座席の背もたれにトンネルのことが告知してありました。

このトンネル、57キロだったかな。ごっつい長いで。

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プロペラが付いてない飛行機なんぞまったく利用せず、船と列車でここまで来ました。

すでに3,000キロを超えているんです。

元気な、いや、けっこう足腰にきてる前期高齢者の旅です。

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いまだいい天気が続いています。

こういうのって実にありがたいですよ。

天気の話になると、普段の行いがいいからだとそのたびに女将は言うんですが、そうかなぁ?と思うんです。

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長い貨物列車も通ってた。

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あいかわらず北海道のPRは行き届いています。

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函館湾をぐるっと回り、海の向こうに函館山が見えます。

江差線です。これが津軽海峡線になりどんどん遠ざかっていくわけですが、新幹線が完成すると函館、五稜郭は通らないが、いいのかな。

小さな国土で、現在これだけ発達した交通機関だのに、まだこれからも、より早く早くと急ぎたいようです。どれだけ得になるのかと、そんな感じはあるんです。

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画像をクリックしてください。

インフォメーションは親切ですよ。

わかり易いです。

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そしてついに青函トンネルの表示もでてきた。

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細かく、ちゃんと知らせてくれるんです。

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で、トンネルだで。

鳥取から倉吉よりも長い距離のトンネルです。

とんでもない工事だったと思う。

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鹿野町の山紫苑へ温泉に行くときに、そのエレベーターではいつも嬉しそうなんですが、同じくこのトンネルもそうらしい。

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この旅行でいままでも、この日も、そして最終日も、何を一番買ったかというと、ペットのお茶ですよ。

一日2本ではおさまらず3本なんてのも当たり前。

ジュースでは後口が甘くてだめです。

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で、トンネルの出口のイラストも表示された。

太陽が当たるところへもうすぐです。

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外へ出ると、やはり青空。

そして、これって、新幹線の工事だで。

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なんなんだろうか、新幹線てのはこの線路でもそうですが、特有な雰囲気があります。

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セメントが目立つとか、第一雑草が目に入らない。

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と、これはJRの偉い人かな?

IMG_3977トンネルもでかい。

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津軽トンネルもある。

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このトンネルにはあまり興味がないようで寝ている。

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これがよく目にする新幹線の高架です。

津軽にも北海道にもこれが通るようになるんでしょうねぇ。

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水田です。

なんかこの津軽のほうが水田が似合うような気がするんです。

やはり建物は北海道と変わりないのに、まぁ、イメージだわなぁ。

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ふつうの電車は生活感があってほっとします。

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地図上では陸奥湾、津軽湾に沿うて走り、青森を目指すわけですが、さらに野辺地で乗り換えですが、この湾の周りには茂辺地、瀬辺地なんてのがあるんです。

要は端っこということでしょう。

むつ市大湊もこの湾の海沿いにあるわけです。

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この津軽半島と下北半島でかこまれた海沿いをぐるりと回るわけです。

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この表示はいいですよ、気に入りました。

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青森にも風雪を防ぐ塀が建っている。

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きっぷ入れも付いている。

最初なんなのかわからなかったが、そうかと分かり、切符を入れてみた。

取る人は無いと思うが、少々心配な感じではある。

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二時間ほどで青森です。

むこうに見えるのは「青い森鉄道」です。

鳥取の「智頭急行」と同じです。

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北海道から本州の駅へ降り立ったわけです。

49年前に女将も、そして私もここの駅には来たことがあるんです。

インターハイです。通過しただけですけども。

女将はバドミントン部、私はボート部でした。

同じ高校とはいえど、まったく見も知らぬ赤の他人でした。

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一寸先は闇といいますが???いや、一寸先は天国といいますが???49年の不思議さを感じます。

時間があったのでもう一度デッキに乗って、緑の額縁で写真を撮っておきました。

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決して立派な駅ではない。

どちらかというとローカル駅といった雰囲気でした。

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ここはねぶた祭ですよ、なんといっても。

ラッセラー、ラッセラーと飛び跳ねて踊るんですが、祭りは簡単な振りのほうがいいですねぇ。

誰もが参加できるしなぁ。

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簡単な振りはこりだすと奥が深いものですよ。

だから飽きない。

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「青い森鉄道」へ乗り換えです。

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新青森なんて駅があるからそちらへ賑やかさも移っていくんでしょうか。

IMG_4012ラッセラー、ラッセラーだで。

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だが外の風景は新しく大きい。

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フェリーも見える。

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こんな近代的な建物もあるんです。

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この青い森鉄道へ乗り換えです。

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雰囲気としては若桜鉄道に似ているかな。

ただし乗降客も多いし、第一1両編成ではないです。

車両も新しい。

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で、野辺地まで出発です。

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窓外に鳥取駅近くにもあるホテルの名前。

どこにもあるんかな、と思う。

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42分ほどで野辺地です。

49年前にもここで乗り換えたんです。

大湊での漕艇競技へ出場するためにやってきたんです。

当時列車の中で地元の年寄の話を耳にするもまったく意味がわからなかった。

今回はその漕いだ場所を見てみたいと思ったんです。

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だがその場所がとてもとてもわからない。

なんせ49年前ですよ。

で、考えたんです。

青森県ないしはむつ市の役場へ問い合わせたらどうだろうと。

で、むつ市へ秘書課があるかないか、市長も若いし、問い合わせの手紙を出したんです。

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それにもう一つ。

当時大湊へ一緒に行ったメンバーへもハガキを出したんです。

大湊へ集まって競技の場所を見て、その夜居酒屋でいっぱいやらないかと。

もちろん誰も来ないとは思ってた。

ところが二人が行くと返事が来たんです。

これは面白くなりました。

鳥取から1,500キロ離れたところで、大湊で会うんですよ。

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そしてむつ市からも地図入りの返事が来たのです。

さて着いたのが11:48で出発が12:57だからたっぷりとある。

ここで昼食もすます計画でありました。

数軒ありました。いや、数軒しかありませんでした。

でも雰囲気がいい。この食堂だと決めました。

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ごっつい期待に満ちた表情です。

ここの地域のラーメンには「ふ」がはいってる。

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焼きおにぎりも買ったんです。

これは女将には残念ながらニンニクが使われていて食べられずですが、私にはおいしかったです。

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青い森鉄道からJRに変わります。

はまなすベイライン大湊線に変わります。

エスカレーターは無かったが、画像の昇降機がありました。

つづく。

7月9日(木)礼文島で朝を迎えました。

旅行5日目です。

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宿の二階から眺める利尻富士です。時間は3:52。

雲一つなきとんでもない、超いい天気になりそうです。

そのぶん朝は寒い。

この日は十分に時間の余裕を取ってあるんです。

なんせ41年前に泊まった元地というところへ行ってみなけりゃならんわけですよ。

一番の目標です。

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宿の主人に聞けば我々が昔泊まった「海明荘」は「元地荘」と名を変えて、しかしさらに経営者が変わり、さらにその経営者もやめてるとのことで、元地荘の建物のみが今でもあるとのことです。

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あの時稚内のホテルでは、もともと利尻島へ行くつもりだったんです。

で、稚内で目が覚めた時礼文島へ行くフェリーがあったのでまず礼文島へ行って、それから利尻島へ行くこととしたんです。

だが、行ってみると礼文島はとてもよかった。

で、ずっとここに泊まりこんだんです。

当時宿も決めずに礼文島へ到着。波止場の客引き(アルバイト)と気が合い、決めたのが海明荘でした。

料理は二人分でテーブルいっぱいに並びました。

雲丹、アワビ、その他いろいろ海尽くしでした。

二人ともそのころあまり海のものは好まなかった。

で、鍋がしてあったんですが、それへアワビの刺身を入れたりとか、なんとも‥‥です。

一人の宿泊代金は一泊朝夕つきで3,500円だったかな。

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このときはじめてサッポロビールの黒ラベルを飲んだんです。

最初変わった味で、次にはキリンを飲んだ。

だが、次はやはり黒ラベルを注文して、あとはずっと黒ラベルです。

今は手に入ればサッポロビールのクラシックですが。

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(この画像トリミングして仕上げました。クリックしてください。)

さてさて、17:50の香深港フェリーまではフリーなんです。

で、荷物は宿に預けるこことし、とにかく元地へ歩こうとの計画です。

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これが宿です。

ここの主人はとてもよく働きます。

食事も、客の迎えも、何にでも走り回っているんです。

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昔からの道路のような気がするんです。

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顔を洗っても晴れ模様です。

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珍しいくらいに上天気とのことです。

で、朝食のあとで主人に道順を聞くつもりが、客を送りに行くというので、奥さんから聞くことになりました。

話は出来ていて、奥さんの下準備は出来ていた。

略図を出してきて、「ここがこうで、こう行って、まぁ簡単な遊歩道ですよ。」この言葉の簡単という一語が記憶に残ったんです。

「帰りは元地トンネルを超えればすぐに香深港だしねぇ。そこに温泉もあるから入ってもいいし。荷物は電話してもらったら港まで持っていきますよ。」

いよいよ簡単なハイキングですよ。

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(これもいい利尻富士です。クリックしてください。)

で、それでも今日はそれなりには歩かなならんからと、昨晩注文してた二人分のおにぎりをもらい。

これが4個あるんですがものすごくでかい。

肉体労働する大の大人が喜びそうなおおきなやつ。

全体に海苔が着せてありました。

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宿まえより歩き出したんです。8:14。

鳥取とは光が違います。空の色の抜け方が深いです。

だから海の色も鮮やかなんです。

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この砂利の場所はどうやら昆布を干すところらしい。

礼文島で採った昆布は礼文昆布とは言わない、と、思う。

聞いたことがない。

まぁ、利尻島の人が採った利尻昆布と味はまったく変わらんと思うから問題はない。

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ここから山へ入っていくんです。

そしてお茶がペットに半分ほどしかないのを後で気づくんです。

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名前は忘れたがこれがよく目立つ。

茎が食べれるそうで、実際に、たぶん朝のときに漬けたものを食べたかもしれない。

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この辺りは歩きやすいんです。

ただ影がない。

背の高い木はないんです。

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あってもこんなの。

風が強いのだ。

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これは元地灯台だで。

41年前はここまで行って写真撮ってるんですが、今回は行かなかった。

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エネルギー不足だわなぁ。

なるべく短いコースがいい。

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眺めはいいし、渡る風もとても涼しい。

が、陽は極めてきつい。

その昔は二人とも燃えていたろうし(?)暑かったはずだが、実際は今回のほうが暑さがこたえる。

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遊歩道も今回は歩きにくい。

狭いし、滑るところもある。

観光客が来すぎじゃないかと二人で話したりしてました。

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あとで話したんですが、昔はこのコースの逆から歩いたんではないかと。

目に入る景色がけっこう見たような記憶があるんです。

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どうです?画像をクリックしてください。

なんもないから。

有るのは柵だけ。

空の青と山の緑。

強めの涼しい風と刺すような陽光。

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以前はそうでもなかったが、柵もずっと続いてた。

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雲が一つもない。

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この画像もクリックしてください。

上三分の一、左端の漁港がわかるだろうか?

それを少し超えたところまで歩くことになるんですが、まだきちんとは気がついていない。

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昔と同じ所だと思う。

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「そうだ、電話しとかないけん。」と、鳥取に電話。9:30頃。

届くんですよ。こんな端っこの礼文島の山から簡単に鳥取に届くんです。

昔は固定電話で横のハンドルをウイン、ウインと回してから、もしもーし!と、そんなんでした。

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礼文島らしい眺めがずっと続きます。

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この山々は変わらないです。

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どうです?

ここを私たちより年齢が上の元気な人たちがトレッキングシューズ履いて、たとえばチェックの長そでシャツ、白髪につばの広い帽子、サングラスと、かっこよく、たくさん歩ってるんです。

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で、我々も昔風に記念写真です。

以前の写真はもっと二人の距離が近かったと思うんです。

どうも男と女、賞味期限が過ぎてしまうといけません。

この日、陽に焼けましたです。

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ずっと歩き続けます。

10時前ですが私はそろそろもっと楽な道はなかったのかと、そんなこと思ってた。

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昔は姿に余裕があるんじゃないかと写真から感じられるんです。

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2時間くらい歩ってる。

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と、今度は長男の嫁さんから電話がかかって来た。

今孫二人と日本に帰って来てるんで、鳥取にいつ行こうかとの相談だった、かな。

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桃岩展望台で、あれは礼文島レンジャーかな?

シャッター押しますよとの言葉で、そうしたが、ワシやはり腹が出てる。

これでは歩くのはそりゃ大変だで。

ここで腰をおろして小休止しました。

ブログがまた長くなるからとばしていく。

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昔は無かったと思うトンネル。

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岩崩があるらしい。

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桃岩だ。大きいで。

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海岸線の道路を歩く。

足はもう歩きたくないといっているが、そうもいかず、歩く。

まだ目標へは着いていない。

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道路のすぐ下は海。

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かもめがたくさんいる漁港があった。

後ろの網のような塀は風雪を防ぐものだろう。

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で、この漁港も元地だったんです。

到着だったんです。

自販機があってお茶買って冷たいのを飲んだら、いやぁ、うまかった。

自販機は知床出てからはここに一台あっただけだで。

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これが、その元地荘。

3階建てだで。

本来ここがやってたら泊まってるで。

残念です。

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ここの海岸はめのうが拾えるというので、今は「めのう海岸」との名前がついていました。

少し拾いました。ほとんどめのうは見つからなかったですが、きれいな小石はありました。

後ろの漁港は覚えがない。

こんなの無かったと思う。

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この海岸で岩へ腰かけて、持って来た重たいおにぎりを食べました。

中にしっかりと漬物が入っていた。二人で3個しか食べれなかったです。

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ちゃんと経営しててほしかったですよ。

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なんか寂しいものです。

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さて、帰らなならん。

バスは、バス停はどこだ?

広場があって、そこの小屋から声がかかった。

木彫を、ペンダントやらふくろうやら作って売ってる。

話し相手がいなかったのか、我々はつかまってしまったんです。

バスも来ないし、その木彫師から聞けばバスはどこでも手を上げれば停まってくれるとのこと。

だったら

停留所もなにもあったものじゃない、手をあげればいいんだ、とばかりに、また歩き出した。

もう一本冷たいお茶を自販機で買った。

静かなそこの店で「タクシー呼べれるんじゃないか?」女将の弁。

だが、歩った。

ここからはしばらく写真撮ってない。

歩くのいやになり、エネルギー無くなって、また坂道を上がるんで、シャッター押す力なんてまったくなかったんです。

と、バスがシャトルバスと表示をした空に近いバスが元地方面へ走っていった。

て、ことは、元地から香深港へ戻るはず。

桃岩トンネルを抜けたところに停留所があった。(どこでも手を上げれば停まると聞いたばかりなのに。)

結果はそこで待っていると待望のバスがやって来て、乗り込むとエアコンで涼しいこと、涼しいこと。

で、あとは坂道が下りだけで、香深港に着いちゃった。

14:00前。

5時間半歩ってたんです。

つづく。

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