» 2013 » 10月のブログ記事

和菓子です。

でも先月の終わりごろのものです。載せるの忘れてた。

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これは上用まんじゅうです。

少し秋らしくなって井戸辺のもみじも色付いてきた風情です。

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ご覧の通り栗ようかんです。

ちょっと味に変化を加えて、餡は北海小豆の漉し餡ですが、黒砂糖を少し加えてみました。

地味で他のなま物に比べ動きが悪いですが、食べると美味しいですよ。

端切れを食べてみるんですが、ほんとにうまいと思う。

まあ、作った本人が言ってもだめですかねぇ。

人でも決して美人がいいわけじゃない。

地味でも味のある人のほうが、いわゆる魅力があるものです。

美人は三日で飽きるんです。

いや、もちろん経験はありません。

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これはまつたけをあらわしたものです。

雪平という生地です。

餅に砂糖、白餡、卵白を加えて熱を加えながら、よく練ったもので、なめらかな白い生地になります。

このときは中餡に抹茶餡を使いました。

これもおいしいですよ。

あ、でもこれは今無いと思う。

雪平のものは次は山茶花を作らにゃならん。

明日は全国的に休日ですが、弊店は開いてます。

パートさんは来ませんので昔のように家族だけの営業です。

そうそう、今日の朝散歩は鳥取駅まで歩ってみました。

そして遠回りですが若桜街道を若桜橋まで歩き、袋川土手をゆっくり帰ってきたんです。

知らぬ間に変わってる。

若桜街道の店が、「あれ?こんなのなかったで!」「あ?ここの〇〇やめてる!」となんていっていいのか。

継続の難しさを感じます。

さて、弊店はその意味ではとりあえず古いほうかな?和菓子屋で。

でも池田光仲が鳥取へやって来たときからの餅屋さんがあるし、明治時代からの店舗も数軒あります。

菓子関係というのは京都でも古いものがたくさんあるんです。

でもなぁ、各店大変ですよ。ほんと。

久しぶりに飼い猫「もなか」さんの登場です。

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もなかは元気です。

好物のにぼしをねだるんですが、これが基本としては日に三度。

だがそれではおさまらず、さらに回数を重ねてねだります。

そのしつこさはたいしたものです。

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その他の時間は、まさしく寝てる。

寝子です。

まあ、仕事があるわけでなし、食べて寝て、ときどき隙をみて野外へ出て、また家の内では廊下を走ったりして運動もこころがけてるようです。

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それにくらべ店主であり、主人でもあるはずの私は「食っちゃぁ寝」の生活をするわけにもいかず、頑張ってます。

10日にも頑張りすぎた。

今年の栗、新栗が届いたので早速にくりまんじゅうの製造です。

ところが店舗補佐のたおちゃんのこどもが水疱瘡で、休み。

そのしわ寄せで私はさらに頑張ったのです。

競馬の馬ならとっくに桜肉になっている老体に鞭を打った。

やったぜ!とその日の夜に店屋物食べながら思ったんです。

くたびれて、その夜はブログはやめ!と、きめていた。

その夜は暑かったようだ。

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そしてなんだか、どうしようもなくえらかった(しんどかった)。

目が覚めて、なんか体がどうしようもない。

ベッドに起き上がってすわっていても治らない。

頭、背中には汗をかいてるので、どうやら暑いらしい。

ペットのお茶を飲んでもどうしようもない。

で、暗闇のなかスイッチをさがしてオンッ。

エアコンがかすかに動き出した。

しばらくして冷気が出てきたら、これが気持ちいいんです。

その時の体にとって特効薬のような効き目です。

普通の感覚がもどってきたようで、これでよし、とばかりに寝ました。

どうも熱中症ではなかったか、と思う。

くたびれた桜肉に鞭打ったのが引き金になったのではないかと思う。

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でも頑張ったおかげで来週からこの新栗のくりまんじゅうを出荷できます。

関東各地の店頭へならびます。

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さらに今回この新栗のくりまんじゅうへ有名高級スーパーのM屋さんからサンプルの依頼がありました。

どれくらい前かこのM屋さんには納入させていただいてましたが、しばらく停まってたんです。

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納入できればありがたいことです。

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で、あくる11日の昨日にも頑張った。

この日はパートさんの小谷さんはどえらい頑張った。

おかげで新栗くりまんじゅうの仕上げもこの日に完了しました。

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今日と明日は月に一度の連休です。

だから今日はなんもしてない。

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散歩はしましたよ。

久松山の麓へ、二の丸へ行って来ました。

空気の匂いというのか、香りが違います。

緑が多く気持ちいい。

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観光地化されておらず、いいですよ、ここは。

あ、でも経済を考えると松江城のように観光客が来なければならないんです。

むずかしいですねぇ、なんでもが。

二兎を追うことは出来ません。

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画像は4日のものです。

おわり。

今のテレビの天気予報はよくあたるんですが、台風の場合ちょっとずれがあるかもしれない。

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来るぞ、鳥取に来るぞという台風24号。

え?もうこれまでに23号も来たんかえ?覚えがないぞ。

と、935ヘクトパスカル。

ごっついでこれは。

と思う台風です。

最近は日本近海からでも発達したり、もありますよねぇ。

鳥取には9日9時ごろが再接近とのこと。

かなわんでこりゃぁ、と、思ってた。

朝の九時だよな、まあ、それ以前から吹きだすわなぁ。

思いながら寝たんです。

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よく吹いたのは朝の3時過ぎだった。

12時過ぎはまだたいしたこと無かったんです。

それでも吹きだしたんで、ちょっと早いかなと思いながら、まあ、危ない物ないし。

あそこのブルーシートも工場にしまったし。

もらった稲も工場へしまった。

大丈夫だろうとおもってたんですが、どうも工場への入り口の木戸の音が気になる。

いや、まあ、昨日4代目が工場全体を見回りして全部の戸も閉めたはずだしなぁ?

風が吹くたびにきちんと閉まってない音がするんです。

夜中ですよ。

「あ、四代目が帰ってから、女将がなにか工場へ行って、なんか持って来てた。」それだで!

しょうがないからパジャマのままその木戸へ行って見ると、はは~ん、あほだで、金具の鍵がしてない。

なんともなぁ。

そんなのは気がついたからまだよかった。

3時過ぎくらいから吹きだした。

すごい風の音。

バーンと家に当たると、寝てる床から家全体が揺れる。

そのうち、あら?植木の鉢の割れる鈍い音が風の音に混ざってするんです。

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さすがは台風と名のつく一人前の24号ですよ。

やってくれるわい。

で、窓をぴったり閉めると蒸し暑い。

少し明けると突風が入る。

なんともですよ。

それでも風が少しづつおさまってきたんです。

と、台風の風はおさまってきたんですが、そう、風の音はたしかに静かになってきたんです。

で、寝れるぞ、と、まあ、思うわけで‥‥。

「ゴン!」と大きな音がとなりの部屋の壁だ。

ああ、女将か、そうか、と、またうとうとしてたら、さらに大きな音。

「ドン!」

ちょっとなぁ、なんなんだよ。

これは台風の目かい?寝ぼけてるぜ。迷惑だで。

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でもまあ死なずに無事朝は開けてきましたよ。

ああ、よかった、よかった。

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朝8時ごろかなテレビでは鳥取沖に24号が通過するころなんですが、こんな雲に気がついたんです。

画像ではわかりにくいかもしれませんが、虹のような雲です。

予報では昼まで、昼前が一番かぜが強いといってる。

どうも違うぜよ。

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さらにそのまえ7時過ぎても普段聞こえる「おはようございます。」の子供の声も聞こえず。

毎日、いや平日その子供のみまわり隊というのかMさんの返答も聞こえない。

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そうか警報が出れば学校は休みなんだと気がつくわけです。

おわりです。

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ついでに、なんかかっこいい雲です。

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この下の暑い雲がいいです。

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このパワーの雲、ええで。

さて、きょうのブログは終わります。

そうそう、今日島根県立美術館からポスターと招待券が二枚送られてきました。

何でだろう。

画像は25日じゃなく21日のものです。

もちろん千代川です。

というより秋の空だで。

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さあ、まだ開けやらぬ朝、寿町です。

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小さな和菓子屋の母屋の玄関が開き、因幡らしい女性が現れました。

いつもの朝散歩に出かけようと靴の紐を結んで、気持ちはもう千代川の河川敷へとんでいるようです。

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月もまだ姿を消していない。

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と、画像に関してはコメントは終わりです。

千代川へ行って帰って来たと承知してください。

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で、表題の「知らなかったこと」なんです。

なが~いあいだ読んでいる「翔ぶが如く」司馬遼太郎著に載ってたことなんです。

九巻の一頁目から載ってるんです。

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あっ、画像をクリックしてやってください。

大きくなるから。

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幕末の人です。

安達清一郎という人。

因幡鳥取藩の人ですぞ。

江戸は昌平黌に留学したというからエリートかな。

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で、桂小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作などと同志的結合があったようです。

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さらに剣は千葉道場と書いてある、北辰一刀流ですぞ。

でもこれは千葉周作ではなく弟の貞吉さんの道場ではないかと思う。

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だって、あlね、なんとね、貞吉道場の坂本竜馬とえらい知り合いだったとのことで、竜馬は貿易。

清一郎さんは開拓だと考えていたようです。

日本を豊かな国にしようとの思いです。

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幕末には京都留守居役を勤めたようです。

まあ、大変な時、事、仕事ですよ。

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竜馬と知り合いなんてすごいじゃないですか。

この前のNHKの竜馬は最初の頃ネックレスをしてましたが、まあ、二枚目だからいいのかな。

ただ、光の使い方はリアルで最初見たとき、「やってくれるがなぁ」と期待したものです。

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で、もとにもどると、この清一郎さんのところにいたのが片山潜だそうで、これって共産党だでなぁ。

まだよくわからない。

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あ、そう、西南の役のときには西郷さんから、いや、実際は鹿児島県令の大山綱良から決起してくれと要請があったようです。

このとき今の岡山、作州の郡長、津山署長をしていたということです。

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岡山に車で行くとき自衛隊がある日本平というところ、これはこの人が開拓したらしい。

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西南の役には加わらなかったようです。

岡山県令の、薩摩出身らしいのですが、高崎五六にとめられたようです。

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インターネットでこの安達清一郎と入力してみると、この因幡では当たり前の名前のようです。

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いやぁ、知らんかったです。

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そうそう、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されたときの首謀者、関鉄之助がこの鳥取へ逃げて来たとき、これを受け入れたのはこの清一郎さんだったようです。

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昔のことで、顔も知らぬ人たちですが、なんとも、いや、同じ赤い血が通っているはずなんで、なんか感じるんです。

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思いません??

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この鳥取にも、ドラマ、ドラマがあったんです。

いや、今でもドラマが進行してるんですよ。

 久松山、城跡からの帰りにいつも見る建物です。DSC_0087

四十数年前に建てられたんです。

記憶が正しければ、当時県庁の部長級のための官舎だったと思います。

これが建ったとき同じクラブのHの父親が〇〇部長で、最初にここに入居したのはこのHの両親だったと思います。

ごっついデラックスで、テッコンキンクリート。

トイレなんかも一度に数人が用を足せたと思う。

一度泊まったことがあった。

今見れば小さくてなにほどのものではない。

時代が変わったんでしょうねぇ。

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これも昔からある習字教室で、たぶん志のある先生が住んでいるに違いないと思っています。

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旧国道を渡り鹿野街道を南へ歩きます。

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醇風小学校の横にあるバス停です。

変わってるんですが、もう一つかな。

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片原通りの角にある建具屋さんです。

昔からある。

鳥取の街のランドマークのような風景の一要素でしょうか。

醇風校区だから顔見知りです。

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片原通りを右に曲がり西へ歩きます。

ここはけっこう通行量のある通りです。

少し行くと昔はガス会社の円筒形のタンクがありました。

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茶町へ抜ける狭い道路もあります。

通学路ですよ、今も。

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有門橋の上から鋳物師橋眺めて、水面に空と橋が映ってるがなぁと、その橋の上を車が通れば面白い写真になるのに、と、待っていたが、通らなかった。

諦めて帰ることにした。

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上を見れば青空。

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角のガソリンスタンドに、あれ?若いときのワシの写真が載ってる。と思ってシャッター押した。

?????。

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昔用水路だったところが狭い道路となって、西中のフェンスと中電の塔が見える。

この中電の隣に中電工のビルがあるんだけども、両方ともりっぱな建物です。

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で、西中だ。

ちょうど野球部が並んで大きな声で出陣の挨拶をしていた。

あと、我が家は30mほどかな。

で、おいしい朝食だ。

おわり。

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