この旅行4日目、八日の朝、稚内です。
ホテルからの眺めは雲が多い。予報では晴れのはずなんですがねぇ。
昨晩買ったおにぎりを朝食にして、血圧も測り、薬も飲んで、8時の稚内周遊の準備をしたんです。
41年前宗谷本線車中でである夫婦と知り合ったんです。
我々と同じくらいの年齢かな。
で、その夫婦は南稚内で、我々に稚内の駅で待っていてくれとの言葉を残し降りたんです。
駅前で待っていると少し経ってからダイハツのフェローマックスが我々の前にやって来たんです。
(宿の温泉のパスワード)
で、その後ろに我々は乗り込んだ。
これは狭い。特に私には超狭い。
この時もう夕方が近かったろうか、それにもかかわらず、なんと稚内周辺を案内してくれたんです。
宗谷岬、氷雪の門とかは、この時に記憶に強く印刷されたものです。
このことがなかったら、今回の周遊はしてない。
このお二人にはいまだに年賀状を送っているし、もちろんお二人から住所が変わっても当方へも毎年送られてきます。
ただしお互い顔を見ても絶対にわからんと思う。
今回の旅行をきっかけに感謝のしるしとして弊店の商品を急がずに文章書いて送ろうと二人で話しています。
これ現在の稚内駅です。
駅前なんだけど昔とは全然違う。
どう?違うで。
あ、後ろの山は同じだ!
この山の上が稚内公園なんで、周遊の一つになっています。
ここに氷雪の門があるんです。
で、この写真の山が削られて何か工事をしてるんですが、最初土砂崩れ化と思ったものの、違うし、二人の合意した意見では、ロープウェーかケーブルカーができるんだと結論がでました。
また確かめに来るかな?
これ面白い。昔はここまで線路があった。
そのまま駅舎の中へ、そして現在の線路へつながります。
宗谷バス。稚内周遊一人3、300円で、日本旅行の企画です。
まず北防波堤ドームです。
風雪が、そして波がすごくて、それらを防ぐために造られたもののようです。
昔はその裏にソ連の弾痕があったと聞きましたが、どうなのか。
海上保安庁の巡視船が泊まっていたので、一枚パチリです。
艦名が「れぶん」と書かれています。
周遊の乗車客は9人だったかな。ものすご少ない。大型バスがもったいない。
この画像(上)が樺太で通信業務をしてた女性の方々、ソ連兵が迫って来たので薬を飲んで自殺した、このことで碑ができたんです。
このエピソードが氷雪の門かとずっと思ってたんです。で、その像。
ところがこれは樺太の人々の思いを像にしたものだと今回知りました。
で、41年前にこの像はなんでか強烈な印象を我々夫婦に残しました。
稚内の話が出るとかならずこの像の話になるのです。
観たのが夜だったからでしょうか。
とても大きな像で迫るような迫力だったと記憶していたんです。
だが今回はそうでもなかった。
これは二度目ということもあるんでしょうが、我々夫婦が41年前とは違ってるんでしょう。
変わったのは我々だったのでしょう。
横からも撮った。
この像は42年間ずっと立っているわけです。
これが由来。
悲劇は多く、戦争だで、なんでも。庶民が一番犠牲になります。
これは昔に覚えがないが、この稚内公園にはあの南極物語のタローか、ジローかその像もある。
出来のいいブロンズです。
樺太犬を稚内で訓練したようです。
犬は健気で可愛そうでなんともいえません。
亡くなった犬たちの慰霊塔もありました。
陳列してあった土産品。
女将はソフトクリームが好きです。
サハリンが樺太が見えます。
次はノシャップ岬です。
ここは昔行ってない。
かもめと、
タラバガニと、
松山千春のポスターがあった。
日御碕灯台につぐ二番目に高い灯台がここにある。
風雪時でもわかりやすいように紅白で塗られている。
日差しもきつくなってきた。
このあたり、玄関が二重になっている。
さらに縁石にひっかき傷がある。雪掻き車のせいだと思う。
稚内の町に再び入り宗谷岬へと走るんですが、ロシア語の看板がある。
さすが最北端だで。鳥取には個人の店ではまだ韓国語もない。ホテルにはある。
これ稚内空港です。
昔帰りに、ここから丘珠空港まで飛んだんだったかな。
出来たばかりの航空会社で、小さな飛行機でした。
13人乗りだったかな。
それでも客室乗務員がいた。
宗谷岬を先っちょ目指してバスは走ります。
この地形が何万年か昔、氷河時代からの地形だそうだ。
牧草です。
牛もいた。この牛はなんとかブランドの肉牛だそうで、食べられるために生かされてる。
メスは生かされるが、オスは適当な時に肉になる。我々夫婦は丑年だが、なんとも真理がある事柄かもしれない。
なんてなことを考えているうちに正真正銘の最北端に近づいてきた。
この画像はソ連によって撃墜された韓国航空機乗客の慰霊碑だそうだ。
この岬のレーダーが有様を捉えていたらしい。
ロシアっちゅうのはいけんで。この前はマレーシア航空機をウクライナの親露派が撃墜したしなぁ。
で、ここから日本の最北端が見える。
41年前はここには来たかったものの、あきらめていたんです。
だが連れて来てもらったわけですが、今回バスで回っても結構な道のりなんです。
その夫婦に送るのはやはり「因幡のくりまんじゅう」がいいかな。
その最北端の搭をバックに観光客の記念撮影です。
搭は41年前と同じものなのなどうかと思う。
いまやここは大観光地です。
昔はさみしい場所でした。
一軒あった土産物店によるとおじさんがハヤシライス食べてて、そこで木彫を買ったんです。
さらにオホーツクと日本海に同時に小便してやると、へへ、しちゃったんです。
コップ一杯の水を世界の海で混ぜて、またコップに注ぐと、もとのコップの一分子が存在するそうな。はは。
You Tubeに出ている千葉紘子の「宗谷岬」のスイッチも押したぞ。
「流氷溶けて 春風吹いて はまなす咲いて かもめも啼いて ‥‥」
You Tube そのままでした。
樺太はすぐそこですよ。
ここに近づくにしたがって女将は「ホタテ、帆立、ほたて、ホタテが食べたい。」呪文を唱えていました。
先に女将が注文して焼けたホタテを持って外に出た。私はいか焼きを注文し、焼くのを待ってて、食べるところを写真に撮ろうと外に出たら女将はホタテをもう食べ終わってた。
しかたがないのでいか焼きでかっこつけてシャッター押した。
ほたては450円だったか?いか焼きは300円だった。
道路の向こうではホタテを貝殻からはがしていたんで、写真撮ってもいいですかと聞いたら、あまり気乗りしない様子で、それでも「ええで。」と言ってくれた。
日本の最北端でホタテを食べたわけです。
この稚内牛乳を飲まんかったのが残念。
で、このころカメラの電池が少なくなったんです。
昨日の夜食事した駅前の店によって、今度は昼食食べるし、昨晩食べてるし充電させてくれるだろうと考えたんです。
すぐに充電させてくれた。でも昨晩来たのはここの奥さん覚えてなかった。
で、少し充電。でも足りない。これから礼文島行のフェリーに乗るわけで是非ともきちんと充電したいわけです。
巡視船が動かずに停泊してる。
フェリーは15:30発だから、充電時間はたっぷりあるわけです。
若い女性でした。
一度事務室へ聞きにいって、次にはロビーへ出て来て、コンセントをを探してる。
「ほんとはいけないんですが、内緒でお願いします。」とのこと。
稚内は優しい人が多いんじゃないかと思う。
昔のターミナルはこことは違ってたんじゃないかと思ったんですが、どうなのか。
気がつけばロビーにはケイタイの充電器があった。
鳥取で日本旅行を通して予約はしてたんですが、現地で乗船券と交換してくれとのことで、これがそう。
受付にいくと、帰りの分も準備できますよ、とのことで、鞄からまた引換券を持ってきて、そのあいだ、並んでいた客を「お待ちください。」とまたせたままでやってくれました。
想えばしっかりしたきれいな女性でした。
二等船室です。
この船も昔とは大違いで、とても大きくなっています。
昔はせいぜい数台の車を積めば終わりでしたが、今回はでっかいですよ。
こんなんだった。
そしておおらかでもありました。
礼文島行は今回もいい天気で揺れません。
帰ってくる船もいます。
ハートランドフェリーというんだけど、41年昔はこんな洒落た名前じゃなかったと思うんだけどなぁ。
昔の名前は思い出せない。
さて、ノシャップ岬のレーダー基地を左に見ながら港を出て行きます。
ざっと二時間の船旅です。
ほらこれが利尻富士です。
我々が礼文島へ行ったのが昭和49年だったんですが、同じ年だったかな国立公園になりたくさんの観光客が来るようになったようです。
結果島のホテルは割高ですし、その余波で稚内もほかの町、たとえば函館なんかより割高です。
最北端は割高なんです。
この旅は天気に恵まれたようです。
暑いくらいです。いや、陽の光の元ではの話ですが。
カモメは人を恐れないです。
こんな最北端にも外国の人が、それも一人でもやって来ます。
実際礼文島の宿では中国語の父子が泊まっていました。
ついに着いた。これが礼文島の香深港です。
ここまで鳥取から2,400キロを超えます。
これが乗って来た船ですが、バックの空を見てくださいよ。
これ以上の青空は無いと思うんです。
まぁ、紫外線は強そうですが。
で、民宿の主人の運転で迎えのバンに乗り宿に到着。
風呂に入って、食事もして、サッポロビールのクラシック飲んで、さらに特別にこれまで避けていた日本酒、地酒を一本燗にしてもらって飲みました。
いや、昨晩稚内の店でも一本のんだゎ。
でこの民宿の酒も美味かったで、ほんに。
面白いのは松葉ガニが出てたんで、「これ、松葉だろう!」というと、「そりゃぁ、鳥取では松葉蟹だろうけど、こっちでもズワイガニだ。」との返事。間違いない。
二階の窓から下を眺めていると、かもめとカラスが雲丹の取り合いをしてました。
最初カラスに取られ、すぐにかもめが一羽味方を連れてきて仕返ししてる場面です。
最北の地は夜ともなれば寒く、大ぶとんに毛布まで準備してあり、さらに綿入れを身につけるんです。
夏だのにだで。
日中はペットのお茶を三本くらい買い、夜は綿入れです。
今日のブログ長くなりましたねぇ、よくぞここまで観ていただきました。
明日はいよいよ41年前に泊まった元地というところへ行きます。
私たちの一番の目的地です。