» 2017 » 11月のブログ記事

あいかわらず忙しく、困っています。そんな中大女将がリハビリで入所してるところに女将は通い、その洗濯物にも、その他にも煩わされながら負けずに頑張っています。明日からはその忙しさもかなり厳しさが増しそうです。でも、負けない。

ところで今日はG寺の掲示板ではなくルーズベルトの言葉です。

ルーズベルトってのはアメリカの大統領ですが、今回のはセオドア・ルーズベルトです。フランクリン・ルーズベルトではないのです。

太平洋戦争が始まったときのはフランクリン・ルーズベルトで、日露戦争の仲介をして1906年にノーベル平和賞を受賞したむかし、むかしの人がセオドア・ルーズベルトです。この人の言葉が結構いい。

「今いるところで 今持っているもので あなたが出来ることをやりなさい。」

これって、それしかやれんわなぁ。無理をすれば足をさらわれる。

さらに

「決断のときに あなたが出来る最良のことは 正しいことである。

最悪なことは 何もしないことである。」

もっとある。

「長期的にみれば 品性が個人の人生や国家の盛衰においても最も決定的要因である。」

これはもちろんブランド品を身に着けているからと、そんなことではない。その中身のその人のことだで。

なんていうか、アメリカ大統領なんていうと、超困ったこともあったにちがいない。そんな人が残した言葉ですよ。

同じ共和党でも最近日本へ来た大統領とは違うような気がします。

 

あいかわらず忙しい日が続いています。

饅頭の作りすぎで手の親指の付け根の筋肉が痛む。

ま、それはそれとして、その忙しさをかいくぐるように「なまもの」も作ってる。

練り切りの紅葉だわなぁ。さらに

これも「紅葉」だがじょうようまんじゅうだで。だからちょっと名前を変えて「秋深し」とか「深山路」とか名前をつけるんですが、女将は「山の道」と付けたとのこと。

春でも山の道だで。

ところで、女将のテーブルの上に「旧閑谷学校」というパンフレットが乗ってたんで、見てた。と、女将が,「池田光政展」でもらってきたとのことで、

「わたしぃそこに昔から行きたかっただで!」とのたもうた。

おもわずワシの頭の中に浮かんだのが「現在完了形」という英語の言葉。

なぜかそう思った。

しすぎたかな?勉強?わし?

で、これを英語に直してみようと思ったら、はは、勉強してない。

で、NHK基礎英語なんか参考にしてやってみた。

I have been thinking that Iwant to go to shizutanigakko from old day.

で、どうだ?

実はこんなのは昨日すぐ近くの西中へ英語を教えに来てる黒人の可愛い女の子、いや女性が突然弊店にやって来た。

何度も見かけていたものの、来てみれば、みんながびっくりして、工場長、工場長!早く出ろ。というので。

「いらっしゃいませ!」といって店に出るとなんと、日本語で挨拶してきた。

ましてやちょうど小学校の下校の時間で醇風小学校の子供が数人店に入ってきて「ハローハロー」といってる。それに対して親しそうに「Oh, very cute.」なんて答えてる。 

「え?醇風でも教えてるんか?」と問うと、うなずいてる。

日本語をしゃべれるとなったら、女将も出てきた。

「フレンド、ふれんど」といってる。

そんな影響あるかもしれない。

あ、この明るい女性はジャマイカから来たと云ってた。

まだ、名前は聞いてない。

五日の日曜日久しぶりに鳥取県立博物館へ行ってきました。

今年はエネルギー不足にて、散歩もせず、海岸にも出ず、死にかけのジジイみたいな日々を送ってるので、これではいかんと、行ってきた。博物館へ。

天気がいいので、けっこうな人出。人は緑を求めます。久松山付近は気持ちいい。

「池田光政展」です。そういやぁ、この展覧会の街中ポスターを知り合いがデザインしていたが、そうか、と、いうことは、画像の看板の制作者もそうかもしれない。だいたい「白」が多いのが特長だで。

いやぁ、中にはたくさんの資料が陳列してありました。

だから、見てきたんです。

さて、外へ出ると

なんだか兎がいるんです。そばにいたどうも関係者だろう人に問うたんです。

「なんなんですか?この兎は?」と聞くと

「兎です。」との答え。

「あぁ、白兎ですか?」

「いや、あの白兎ではありません。」

となると、ようわからんわけで、わからんままで

「写真撮ってもいいですか?」と問うと。

「はい、どうぞ。」

女将を隣に立たせて撮ろうとすると

「私もはいろう!」と関係者らしい女の子が勝手に兎の隣に来て、ピースサインをしてる。

妙になれなれしい。

未だに何の兎なのかワシは分かってない。

ま、気持ちのいい天気だったし、いい時間です。でも休日というのはあっという間に終わりますね。残念ながらいつものことですよ。

そういやぁ、先回か?ニミッツさんのことで東郷平八郎の名前を上げましたが、今日のブログでの博物館。そのすぐ目の前にある「仁風閣」という白い洋館の名付け親はこの東郷さんですよ。

10月18日に書いた「映画を見た」の続きを書こうとずっと思っていた。

ニミッツの事を書こうとしたんです。アメリカ海軍太平洋艦隊司令長官です。

この人は日露戦争が終わった年(1905)に日本へ来て東郷平八郎に会ってるんですよ。後の部下のスプルーアンスも同じときに会ってるんですが、東郷さんと話をしてニミッツさんは東郷さんを尊敬してしまったんです。

で、これがきっかけになり、日本の戦術を研究したらしい。

この戦術、日本海海戦では特に秋山真之がT字戦法なんぞを考えたりしてバルチック艦隊に勝ってしまったんですが、こんなのをニミッツさんは研究したらしい。

ところで秋山真之はアメリカへ戦術研究へ行ってたんです。これを行かせたのは山本権兵衛さんで、あの鹿児島の加治屋町生まれですよ。

東郷さんもこの加治屋町生まれ。

西郷さんをはじめとしてたくさんの偉人がここの出身です。狭い町内だのにねぇ。ちょうど長州の松下村塾に集ったようなもんですかねぇ。

この山本権兵衛さんはロシアとの戦争には反対の姿勢でした。しかし準備は整えようとしていたんです。海軍の大リストラをやり、優秀な兵卒は士官にも採用しました。船も買った。イギリスから、アメリカから、さらにはアルゼチンからも買ったんです。

資金を集めたのは高橋是清だったかな?

とにかく一心に準備したんです。

そして準備がととのってから日露戦争に臨んだわけです。

アメリカも真珠湾攻撃(1941)以後あわてたようにルーズベルトの指揮のもとに、例えばニミッツさんなんぞはこの人の上に40人近くいる先輩を抜いて司令官になったりしています。

決して官僚的ではない。

日本は日露戦争以後には、どうも慢心があったようで、このことは、たとえばニミッツの上官であるキングさんが若い時に日本へ来て、白人に対して日本人が横柄な態度をとることに気を悪くし、日本人嫌いになったとか。

太平洋戦争に日本は負けたんです。

ところでニミッツさんが勝利後(1945)日本へ上陸すると、東郷平八郎が乗って指揮をした旧日本海軍の旗艦であった「三笠」がダンスホールだったかな、遊び場になっていたんで、東郷さんを尊敬するニミッツはかなり怒ったようです。

その後、「三笠」の復元に尽力するんです。さらに東郷平八郎の国葬の時には参列してるんですよ。東郷神社にも多額の寄付もしてる。

そんなのがきっかけでニミッツの生まれたテキサスに東郷平八郎が住んでいた官舎が復元されたり、日本庭園が造られているんです。

日本帝国海軍も、陸軍もただ単に物量の差だけではなく、いろいろな準備自体ができていなかった。そんな気がします。

まずは横須賀へ「戦艦三笠」を見に行かないけんわい。

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