» 2013 » 8月のブログ記事

昨晩から雨。

涼しくなりました。

そんな今日の土曜日、店舗補佐のたおちゃんが和菓子教室を開きました。

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場所は「いくのさん家」という老人施設です。

主人がこの施設に勤めてる。

朝から昼までだったようで、私が昼ごはんとってると帰ってきて、楽しそうでした。

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個性豊かなものが出来たと、そして楽しかったと言ってました。

昨日はこの教室のことで頭がいっぱいで、様々な道具をせっせとそろえていました。

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餡も知らぬ間にけずられていたりします。

これをわき目もふらずというのでしょう。で、うまくいったみたい。

さて、IMG_2869

季節の変わり目です。

女将が店のポスターをはがしていました。

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あつーい、暑いとバタバタしてるあいだに、やっぱり季節がやってくる。

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明日は日曜日で休みです。

余裕かな?ちょっと一句です。

虫の音に 耳かたむけて また涼し

どうですか?没!かな?

だいぶ前のがまだあった。

遠く蜩を聞く早い朝

なんて、目の前のテレビではフェイ・ダナウェイが出てる。

懐かしい。

昨日のブログからの画像は久松山へ、鳥取城址への散歩のときのものです。

日曜日でした。

朝早くから久松山の頂上へ上がった人。

ラジオ体操をしている人と、まあ多くは早起きの老人たちですが健康が充満するエリアです。

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我々もその時は仲間かな。

高校のときのクラブの後輩 U にも会いました。

石垣が徐々に整備されて、なんかきちんと整ってきてます。

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かって30万石といえば前から数えたほうが早い大大名ですよ。

まあ、貧乏だったみたいだけどもねぇ。

今も昔も変わらんようです、鳥取は。IMG_2756

で、いま少しずつ読んでいる文庫本。

司馬遼太郎さんの「翔ぶが如く」に書いてあったことなんです。

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幕末因幡の最後の藩主は池田慶徳(いけだよしのりという、どの殿さんもパソコンで打ってもその漢字はでてこない難しい名前)さんなんです。

で、この殿さんは最後の徳川将軍となった徳川慶喜の腹違いのお兄ちゃんなんです。

出身は水戸。斉昭の息子です。

水戸出身といえばもちろん攘夷です。

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で戊辰戦争では官軍方でした。

さらにその後です。

版籍奉還がすぐにあり、あ、版籍奉還とは江戸時代の藩の土地とそこに住む人々の支配権を朝廷に返すというのか、譲ってしまうわけです。

殿さんは藩知事となって、まだ権力があったんです。

収入もありました。

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さらにその後三年ほど経って、廃藩置県となるんですが、ここで確か一時金でのちに収入がなくたったと思う。

さあ、この後かっての藩主は困ったのです。

家来もない、収入もない。

で、島津久光のもとの時代にもどせという意見を容れよと連名で時の太政大臣、右大臣に陳情したようです。

この陳情した元藩主に我が因幡の慶徳さんもいたんです。

ほかには先祖がもと因幡、鹿野の、その明治初期には津和野もと藩主亀井玆監(かめいこれみ)、それどころではない、幕末には賢い殿さんといわれた宇和島藩主伊達宗城(だてむねなり)、福井藩主松平慶永(春嶽)さんなんかもいたそうです。

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維新の行方も意味も解ってなかったかもしれないという、なんかそんな感じがしるんですが、どうなのか。

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なんか、みんなで渡ればこわくない。

なんて。

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考えよう自分で。

人任せにしないで、自分で行動しようで。

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この日北中の前の水路は干上がっていた。

7月の終わり組合の褒章伝達式があって、飲んだ。

あくる日左手親指の外側がしびれてしまってるのに気が付いた。

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これは依然このブログに載せました。

ところがです。

まあ、2週間もすれば治るだろうと考えてたんですが、これが治らない。

仕事中にその部分をさすっていたら

「なんだぁ、まだしびれとるだか?」と女将。

「ずっと感覚がないだが。」と私。

「そりゃあ早よう医者に行かないけんわい。脳卒中でも指がしびれとるっていうところから始まるっての、よう聞くで。野の花診療所でもええだがなぁ。」と四代目。

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不安が不安を呼ぶんですねぇ。

そんなことがあって、ネットでしらべたんです。

すると、どうもあてはまる。

脳血栓、そして脳梗塞。

多量の飲酒のあと血栓で体の一部分が麻痺することがある、と。

ほっておくと、麻痺した部分がひろがって、治療しても後遺症が残る、と。IMG_2727

こりゃ早いとこ行かんととんでもないことになる。

半身不随になった自分の姿が浮かんでくるんです。

女将や、四代目に迷惑かけることになるがなぁ。

もっと重くなったら誰が下の世話をしてくれるだい?

おらんで。などと、不安がつのる。

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とにかく医者だ。

整形外科じゃない、内科じゃない、神経内科だ。

もう、「私は病気だ。」にはまってるわけです。

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鳥取にその神経内科はどんなのがあるのか?

ネット開いたらS神経内科クリニックがある。

おう、あそこの医院だ、と場所もすぐわかる。

で、今日の朝電話しました。

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女性の受付の人の声。

「どうなされました?」

説明をするわけです、ここで。

MRI(?)とか使うんだろうなぁとか考えたりしながらですよ。

と、

「盆がおわったばかりで患者さんが多いんです。1時間半くらい待っていただくことになりますが。」

わかった、それでもいいからと言うと、ちょっと待ってくださいとの言葉。

しばらく電話保留の曲を聞かされることになります。

医者に聞きにいったのでしょう。

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で、診察できることとなり、とんでもなく暑い今日の朝、車で行きました。

いやあ、イメージが違うんです、行ってみれば。

医院のイメージとは違う。

どこかのホテルか事務室みたい。

受付の人は事務服の制服着てるんです。

受付しましたよ。

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で、エアコンの効いた待合室は、老人が多いんです。

それも、歩きづらそうな男性とか、付き添いと一緒のやはり老人が多い。

1時間半待つ覚悟で文庫本開いて待ちました。

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と、呼ばれました。我が名を。

若いお医者さんでした。

「よろしくお願いします。」と言うと

「お待たせしてすみません。」が最初の言葉でした。

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「7月末に宴会がありまして、あくる日起きたらしびれていたんです。」

と、いろいろ説明。

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まずパソコン。

画面にその、私のしびれた場所と神経の連なりの画像が出るんです。

で、ほら、脚気なんか調べるあのコンッとたたく、しかし、今は先っちょが丸かったが、それで、腕やらをたたくんです。

神経の反射を調べるわけで、そして、

「無理な姿勢で寝ていませんでしたか?意識障害(記憶なし)を起こすまで飲まないほうがいいです。」

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そのコンッを5回くらいされて、1,010円払ったから、国民健康保険だから3倍で3,366円で一打ち673円です。

弊店でステンレスのボールを何度叩いても1円にもなりません。

医者になるべきだった。

あは、能力あればの話です

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なんと脳血栓がただの寝癖の悪さになってしまったんです。

こりゃあ、ものすごく気持ちが軽くなるわけです。

医者の、専門家の力は絶大です。

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が、痺れたままなんで、「どんな治療法があるんですか?」と問うと、

「ビタミンだな、ビタミンを飲むことです。」

「それしかないんですか?」

「ないなぁ、3週間くらいかかる場合もあるし、治らん場合もあるし。」

「あ、そうなんですか?酒を飲まずにビタミンを飲めってことですねぇ。」

笑ったのはそばにいた看護師さんでした。

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「もしなんかあればまたお越しください。」と医者。

すかさず看護師さんが「ビタミン剤出しておきましょうか?」優秀です。

「はい、お願いいたします。」薬局で買うより安いだろうと考えました。

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すぐ近くの、保険の効くセットの薬局でそのビタミン12を買うことになるんです。

720円くらいだったかな、三倍で2,200円くらい?

コンッとあわせて5,700円くらいの治療費がかかるわけです。

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ありがたいが、問題かもしれない。

医者の経験を生かした治療と診断は貴重です。

でも、すぐに薬が出るのはどうなのか?と思ったりしました。

ああ、でも、暑い日であるのに、気が軽くなりました。

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また変わらぬ日々が続きます。

それは幸せなことなんですよ。

なんだぁ?

なんでこんなに暑いだいや。

鳥取砂漠だで。

だ〜れも外歩かんがなぁ。

外に出るのは死にに出ることと同義だで。

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だが、今日は十三日会という集まりがあったので、自転車で料理屋へ行ったんです。

暑いんです。

まとわりつく暑さ。

あ、でも、今日は満月だと思う。

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仕事もくりまんじゅうだからオーブン使って、暑いでっせ。

外へ出るときシャワー、帰って風呂ですよ。

久松山の散歩は明日にします。

ま、一つ。

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餌を持たずに久松公園を通りかかると、まったく愛想のないハトに出会いました。

ほんに、鳥取も人が、、いや、鳥取もハトが悪くなったで。

そんなのは明日。

昨日は3回分のブログを書きました。

だって忙しくなりそうですから、と、思ったが力を合わせりゃそうでもない。

仕事終わって今日書いてる。

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17日に我が家の墓の花を処分せないけんわいと、朝散歩の方向を変えたんです。

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普段は千代川原へ、西へ方向をとるのですが、この日は東へ足を向けたんです。

花を処分するナイロン袋は女将の尻ポケットにはいってる。

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朝早い二階町通りは人影がない。

あ、ここって昔湯屋がたくさんあって、どれも二階建て。

で、この街を二階町って言うんですよ。

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ところが、今ではそうでもないが、家具屋さんが並んでました。

それは湯屋には湯女がいるわけで、これを争い、刃傷沙汰に何度かなったんです。

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男と女がいる限り事件は起きるわけです。

で、池田の殿様が「ばかたれ!湯屋は廃止じゃ。木工職人を呼べ。」とばかりに家具屋さんが並んだというわけです。

そう、聞いた。

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現在この通りにはライブハウスやら、食堂やら、雑貨屋さんもあったが、これはやめてしまったか。

あまり家具屋さんは目立たない。

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で、角の昔からある喫茶店の丸福の横を通り、素ラーメンの武藏屋の前を通って、さらにひいじいさんとひいばあさんの眠るY寺の前を通って、菩提寺のK寺へ着くわけです。

そして墓をきれいにしていたんです。

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そしたら、ちょうど住職が花に水をやってたんで、聞きました。

「なんで、葵の紋が掛けてあるんですか?」

以前からの疑問をポイと投げたんです。

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みるからにやさしい住職はおしえてくれました。

浄土宗はこの紋を使っていいそうなんです。

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そういやぁ、家康は浄土宗だったで。

厭離穢土、欣求浄土の旗頭のもと戦場で力を発揮したんですよ。

もっとも参謀役の本多正信は一向宗、浄土真宗だったんですよねぇ。

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一向一揆で一度は敵対した二人は、後、極めて深い仲となるわけで、宗教を超えたのでしょうか。

とにかく家康は正信の知恵を借りて天下を取ります。

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鳥取にはさらに葵の紋を描いた幕が使われているところがあります。

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おおちだに神社ですよ。

まあ、家康が祭られているからあたりまえだわなぁ。

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祀ることにによって徳川の大名つぶしからのがれることもできたんです。

いや、K寺の葵の紋の話でした。

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