» 鳥取散歩のブログ記事

二日ほど前からパジャマが長袖となりました。

暑かったのがついこの前。

それが寒くなりました。

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誰だったか忘れたんですが、そう、幕末に来た欧米人です。

日本人を見て、農民とか町人とか、庶民を見て言った言葉が実にいいんです。

「欲しい物もなければ、余分のものもない。」

そして不満そうなこともなく満足そうに暮らしているその日本人に驚いたようです。

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もっともそのあと明治維新後は欧米の価値観がガバッと流入してくるんです。

勝つことですよ。

他人に勝つ。他国に勝つ。

勝つことによって日本は豊かになりました。

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我々もそういったことで生きてきた。と思う。

でも、そうなぁ、あるとき、自分の部屋を始めて手に入れたとき、何も無い畳の部屋で隅っこに机代わりの炬燵があるだけだったが、すっきりとして気持ちがよかった。

そんなことを思いだします。

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でも、いまの日本、なんかなぁ?

年金も将来どうなるかわからん今日、ちょっと考えたほうがいいかもしれない。

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「質素と満足」質素に満足を感じるという、そんなありようもいいのではないかと思うんですが、どうなんでしょう。

昨日、今日の画像は9月26日のものです。

でも、これって、三週間前になるんですよねぇ。

これからは日にちに関係なく画像を載せます。

時の流れは早いなぁ。

今年もあとそんなにない。

新聞にはおせち料理のCMも載っています。

さて、今夜は焼肉だ。

四代目が知り合いから買った肉。

沢山買ってたが、そのおすそ分け。

我々夫婦と大女将三人ではちょっとあれば足ります。

そう、吾唯足るを知る。

です。

いや、違う、歳とれば多くは食べれない。

一句。

秋晴れの 碧さに引かれ 河原道

千代川に出ると空が広いです。

画像は25日じゃなく21日のものです。

もちろん千代川です。

というより秋の空だで。

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さあ、まだ開けやらぬ朝、寿町です。

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小さな和菓子屋の母屋の玄関が開き、因幡らしい女性が現れました。

いつもの朝散歩に出かけようと靴の紐を結んで、気持ちはもう千代川の河川敷へとんでいるようです。

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月もまだ姿を消していない。

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と、画像に関してはコメントは終わりです。

千代川へ行って帰って来たと承知してください。

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で、表題の「知らなかったこと」なんです。

なが~いあいだ読んでいる「翔ぶが如く」司馬遼太郎著に載ってたことなんです。

九巻の一頁目から載ってるんです。

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あっ、画像をクリックしてやってください。

大きくなるから。

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幕末の人です。

安達清一郎という人。

因幡鳥取藩の人ですぞ。

江戸は昌平黌に留学したというからエリートかな。

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で、桂小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作などと同志的結合があったようです。

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さらに剣は千葉道場と書いてある、北辰一刀流ですぞ。

でもこれは千葉周作ではなく弟の貞吉さんの道場ではないかと思う。

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だって、あlね、なんとね、貞吉道場の坂本竜馬とえらい知り合いだったとのことで、竜馬は貿易。

清一郎さんは開拓だと考えていたようです。

日本を豊かな国にしようとの思いです。

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幕末には京都留守居役を勤めたようです。

まあ、大変な時、事、仕事ですよ。

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竜馬と知り合いなんてすごいじゃないですか。

この前のNHKの竜馬は最初の頃ネックレスをしてましたが、まあ、二枚目だからいいのかな。

ただ、光の使い方はリアルで最初見たとき、「やってくれるがなぁ」と期待したものです。

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で、もとにもどると、この清一郎さんのところにいたのが片山潜だそうで、これって共産党だでなぁ。

まだよくわからない。

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あ、そう、西南の役のときには西郷さんから、いや、実際は鹿児島県令の大山綱良から決起してくれと要請があったようです。

このとき今の岡山、作州の郡長、津山署長をしていたということです。

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岡山に車で行くとき自衛隊がある日本平というところ、これはこの人が開拓したらしい。

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西南の役には加わらなかったようです。

岡山県令の、薩摩出身らしいのですが、高崎五六にとめられたようです。

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インターネットでこの安達清一郎と入力してみると、この因幡では当たり前の名前のようです。

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いやぁ、知らんかったです。

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そうそう、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されたときの首謀者、関鉄之助がこの鳥取へ逃げて来たとき、これを受け入れたのはこの清一郎さんだったようです。

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昔のことで、顔も知らぬ人たちですが、なんとも、いや、同じ赤い血が通っているはずなんで、なんか感じるんです。

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思いません??

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この鳥取にも、ドラマ、ドラマがあったんです。

いや、今でもドラマが進行してるんですよ。

 久松山、城跡からの帰りにいつも見る建物です。DSC_0087

四十数年前に建てられたんです。

記憶が正しければ、当時県庁の部長級のための官舎だったと思います。

これが建ったとき同じクラブのHの父親が〇〇部長で、最初にここに入居したのはこのHの両親だったと思います。

ごっついデラックスで、テッコンキンクリート。

トイレなんかも一度に数人が用を足せたと思う。

一度泊まったことがあった。

今見れば小さくてなにほどのものではない。

時代が変わったんでしょうねぇ。

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これも昔からある習字教室で、たぶん志のある先生が住んでいるに違いないと思っています。

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旧国道を渡り鹿野街道を南へ歩きます。

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醇風小学校の横にあるバス停です。

変わってるんですが、もう一つかな。

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片原通りの角にある建具屋さんです。

昔からある。

鳥取の街のランドマークのような風景の一要素でしょうか。

醇風校区だから顔見知りです。

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片原通りを右に曲がり西へ歩きます。

ここはけっこう通行量のある通りです。

少し行くと昔はガス会社の円筒形のタンクがありました。

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茶町へ抜ける狭い道路もあります。

通学路ですよ、今も。

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有門橋の上から鋳物師橋眺めて、水面に空と橋が映ってるがなぁと、その橋の上を車が通れば面白い写真になるのに、と、待っていたが、通らなかった。

諦めて帰ることにした。

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上を見れば青空。

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角のガソリンスタンドに、あれ?若いときのワシの写真が載ってる。と思ってシャッター押した。

?????。

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昔用水路だったところが狭い道路となって、西中のフェンスと中電の塔が見える。

この中電の隣に中電工のビルがあるんだけども、両方ともりっぱな建物です。

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で、西中だ。

ちょうど野球部が並んで大きな声で出陣の挨拶をしていた。

あと、我が家は30mほどかな。

で、おいしい朝食だ。

おわり。

21日もいい天気だったんですよ。

ファイルを見ていたら、そうだ、仁風閣に行ったんだと、そしてクラブの後輩にも会ったんだと、だったら載せないけんがなぁ、となった次第。

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テレビの画像もあった。

駐日大使にケネディの娘さんがなるようだ。

時はやすまず動いているようです。

さて、どうなるのか?

お隣の韓国の大統領もいますからねぇ。

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秋空です。

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袋川。

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有門橋。

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昔醇風小学校へ通うのにこの狭い路地のような道をよく通った。

なぜか安心できた道だった。

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以前より広くなった。

両側の側溝が道路にプラスされたから。

この画像の邸宅はだいぶ以前から売りに出てる。

デラックスすぎて売れないかも知れない。

ここはもともとOさんの米屋だったところである。

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久松山です。

かっての国道9号を超えるとすぐに麓となります。

朝が早いので、車は少ない。

まあいいかと信号無視だわい。

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車はまだ少ない。

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息子がせわになったであろうバイク屋さん。

今は女将の弟が世話になっているようだ。

還暦過ぎてまたバイクかへ?

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お堀のそばです。

この近くには女将の母校である北中がある。

我々の母校の西高もあるけどなぁ。

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久松公園の入り口へはたくさんのノボリがたてられていた。

お城祭りがあるんです。

因幡32万石です。

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ほらね、この前のこの付近の散歩の時にも偶然会った後輩。

元気でなによりです。

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鯉がえさをもらうのを当たり前のような態度。

はは、餌は持ってないもん。

私晩御飯食べなければならなくなりました。

つづくです。

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なんてことないが、この時期だけの画像かな。

澄んだ青空、すこしづつ遅くなる日ノ出。

9月28日の画像です。

ほんとは27日のがあるのに、どうもこのブログのソフトとウインドウズ8は相性が良くないみたい。

27日はウインドウズ7のパソコンで載せる。

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順を追って載せるんですが、もうすぐ富桑小学校です。この道路は新しい道で、画像に見える橋は、いや、これも陸橋なんですが「えがおばし」といったか、「みらいばし」といったか、そんな、まあどうでもいいような、でも少し幸せを願うような名前です。

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これはもちろん有名な千代川です。

これから河川敷を上流へむかって歩くんですが、そこには「千代橋」がありこの下流には「八千代橋」があるんです。

なんと堂々たる命名でしょうか。

「千代に、八千代に」ですぞ。

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土手の横には実質高速道路があるんですが、だいたい7時を境目にして通行量が増えますねぇ。

あ、どれも画像をクリックしてくださいね、トラックもおおきくなります。

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ほらね、左の建造物のようなのが千代橋です。

青空でしょ。

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茅の穂が、すすきじゃないけど、秋を知らせます。

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鉄橋へ着くと見えるのが、これは紙の工場。

むかしからある。

風の向きによれば匂いもあります。

ここの煙突はどうも24時間、天気により様々な印象の煙を出しています。

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で、ここまで来ると撮るのは列車しかないんです。

「スーパーまつかぜ」です。

この鉄橋は本線ではないんで、湖山基地から鳥取駅までゆっくり列車が通るんですが、本線のように鉄橋の斜めの鉄骨が無いのでちょっといいんです。

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なんか鉄輪と鉄の線路の音が聞こえるようでしょ?

左の鉄骨が山陰本線です。

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ゆっくりと通っていきます。

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ほら久松山も見える。

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雨の日以外ここまで歩くので,何時にここを通るのか覚えてしまいました。

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帰りの行徳の街へ渡る陸橋です。

鳥取駅の方をながめると、いまや、マンションが目立ちます。

たちまち、だんだん建っていきました。

そんな需要がこの町にもあったんですねぇ。

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青空。

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散歩道のそばの畑でどんどん大きくなる、なんだろう?

通るたび見ると、楽しく勢いがいいんです。

日々大きくなる。

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この畑の持ち主は花も植えてる。

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面白いのは、彼岸前には墓へ持って行けそうな、そんな花が咲いてる。

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なかなかそばを通るのは楽しいです。

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コスモスはここだけじゃなくそこかしこにたくさん咲いています。

みんな花が好きらしい。

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