池袋にもなんと人の多いことか。夜の7:30pm頃なんだけど、この人たちはどこに行くんだろうかと思う。ましてやトイレに行っても列が出来ているんで、これってトイレ使用税を取れば一つの財源になるかもしれない。だが、政治家の間で利権の取り合いになるかもしれない。臭い話だ。

東京駅着が8時ごろかな。どこかで食事しなけりゃならない。で、東京駅の地下街を歩ってみたんです。なんせ鳥取には地下街なんてないもので、とにかく看板を頼りに、さらには蝋細工の見本を頼りに探して、一軒の居酒屋と食堂が一緒になったような店へ。

二人ともまず”トリアエズビール”ですって。

これで結構腹がふくれちゃいました。

で、この夜は「サンライズ瀬戸・出雲」に乗るんですが、車内販売はないので、しっかりと腹ごしらへをしたんです。

東京駅出発が10:00pmジャストなので、まだ時間がある。で、すこし余裕もできて地下街を少々ブラブラですよ。

すると「鬼太郎」がいましたよ。個人的には妖怪は好きではないけど、東京駅のエリアで鳥取に由来するものを発見するのはうれしいもんです。

そして夜の東京駅を見たくなった。明るい時の東京駅は見たんです。だが、夜のはまだ見たことがない。きっと奇麗かなと思ったんです。

で、案内表示にそって、いや、沿ったつもりで二人してあるいたんです。

「ありゃぁ丸の内側だで。」「そうだでなぁ。」と言いながら歩きました。そしてここらでもう地上に出てもいいんじゃない?と階段を上がったんですが。なんぼ東京駅がでかいといっても、どうも、歩きすぎたみたいで、東京駅の「と」の字も見えたもんじゃない。

だが、そんなに外れてはいないはず。

よく目をこらすと「大手町」の地下鉄駅か?見える。そして「東京駅」の標識も見える。田舎者には親切な標識ですって。

そして角を曲がると東京駅のレンガが少し見えた。

おぅ!こっちだと歩きましたって。

道路を横切らねばならないが、オッ、信号も青だがなぁ。小走りに横断歩道を超えました。その時にはしっかりと東京駅の姿が目に入ります。

と、目の前に、あ、これって、バス乗り場。高速バス乗り場ですよ。もう9:00pm頃じゃないかと思うんですが、たくさんの人々。それも、どうも若い人が多いみたい。

東京ってのは何という街なのでしょう?まぁ、鳥取に住んでいるのが基本になっているんで、でも東京に住む多くの人は地方出身者であるはず。地方を大切にしてほしい。故郷を大切にしてほしい。東京というのは地方の水に浮かぶ浮き草のような街ではないかと思うんです。東京の財政規模は小国の国家財政を超えるなんて言ってますが、その危うさを考えると、これはうぬぼれですって。はは、言い過ぎかな?

で、東京駅の夜姿を見ることができました。

つづく。

17日から一週間経ちました。先週の今日の朝、9時前鳥取駅を出発したんです。

行先はさいたまです。さらに次の18日にの朝には鳥取へ帰っていようという、これも旅かな。

長男の嫁の実家への、行ってこないけんが、というとんぼ返りの鉄道旅です。

結局鳥取へ帰ってきても、あいかわらず忙しく、どうも体力の限界で背中が痛む。ブログを記す気力もなかった。歳だで。

さて、その簡単な旅経過です。

「スーパーはくと」で、姫路まで。そこから「ジパングクラブ」の割引が効く新幹線「ひかり」です。

全部指定席ですで。

姫路のコンビニで昼食を買い、「ひかり」の車中で食べました。ちょっとご飯が硬かった。これだとファミマのほうがうまいと思う。

で、東京が2:40pm着だったかな。たくさんのビルと鳥取では思いもよらぬ線路の数です。そう、そのたびに感じる「都会」てな雰囲気ですよ。住みたくはないけどなぁ。

ま、とにかく、次には池袋まで山手線です。

そのまえに新幹線で富士山がよう見えたで。見えるとえらく得したような気分です。

さて、池袋から東武東上線で一時間ほど。

嫁の実家へけっこうすっきりと着きました。

で、目的もすませ、そう、800キロくらいあるのでしょうか、空気の乾燥した寒い、でも雪はそうそう降らないところでした。

孫の顔もみて、さぁ帰ろう。といったようなせわしい時間でした。

そんななか川越を見たいという、さらにだんごを食べたいとの女将の希望で、長男が車で川越まで送ってくれました。

もう日も落ちて、店も閉まっているところが大部分でしたが、ま、とにかく行ってきたんです。

えらく寒かった。

この画像は時を告げる櫓です。実際の目には暗くてほとんどよく見えないが、かえってカメラの方が能力があるのではないかと思う。

さらに駅まで送ってくれました。

長男は田舎から出てきたじいさんとばあさんが教えたとおり、陸橋を通って駅の方へきちんと行けるのかと、ながい間我々の方を車を停めたままで見ていました。

東武東上線です。画像の左下。(画像をクリックしてください。大きくなります。)「成増」とあり、その右に「なります」と読み仮名があるんです。これが我々の座る窓の近くに見えたんです。

これって、「成増」と「なります」のあいだに「と」を入れると面白い。ま、ばかなことですが、はい。

川越から乗ったので、池袋は近いんですが、この看板が、やきとりの看板が目についた。これは鳥ではなく豚ではなかったか?この地域は。

暖房のよく効いた座席に座るうちにもう池袋ですよ。

そして再び東京駅です。

つづく。

 

 

今日は雪は降らず、陽の光も工場から見えた。雪が溶ける、溶ける。

「冬は必ず春となる」

と書いてある。

まぁ、そうだわなぁ。でもこれって「春は必ず冬となる」とも読めるんです。

まぁ、春もいいけど、後で考えれば冬もいいもんですよ。

そういやぁ、自転車で県庁へ行ってきたんだけど、その途中気が着いたのは薪ストーブが増えてる。冬をたのしもうってなわけです。なんのことはない、昔にもどったようなもんですよ。ストーブの、囲炉裏の炎ってのは飽きないもんです。

これ県庁。

鳥取県は駄洒落県になってしまったようだ。まぁ、でも、知事も鳥取の売り込みに熱心で、やめなしゃれ!とはいえないゎ。

先回の野中広務さんのところで書き忘れてるところがあった。いや、ウイキペディアを読んだ人はいいのですが、あまり読んでないのだろうと、ちょっと書いておく。

あのサリン松本事件があったとき、第一報者のKさんがサリン散布の犯人だと疑われたんですよ。報道関係もみんなそうだった。まさか宗教団体のオウム真理教の信者が犯人とは、その時誰も思わなかったんです。

このKさんの奥さん自体がサリンの影響で重度の身障者になってしまってるんで、Kさんとしてはとんでもないことです。

その疑いがはれた時、Kさんへ野中広務さんがお詫びにいったそうです。しかも自分で運営する重度身障者施設へ受け入れる準備もしていたとのこと。Kさんは断りましたが、長野の施設を紹介されて、そこで奥さんの面倒を見たとのこと。Kさんはこれを感謝して野中さんへずっと長野産のリンゴを送り続けたとのことです。

そういえば今回自衛隊のヘリコプターが民家へ墜落したのに対し、小野寺防衛大臣もお見舞いに伺ってました。こんなの出来そうで出来ないんです。ほんと。

弊店に車で突っ込んだじじいなんか保険屋だけよこして本人は姿を現さなかった。事故当時電話も弊店のを奪うように使っておきながらありがとうもいわなんだ。関係の保険屋も怒ってましたよ。くそじじいっていうんだろうなぁ。そう、くそ大臣も多いんじゃないだろうか、と、思うんです。

ここまでの画像は女将が撮ったものです。

この後鹿野町へ行って温泉に入ったんです。

わかるかなぁ?木々を渡る風の音を耳にしながら、雪が舞う冷たい空気の中ですっぽりと首まで露天風呂につかる贅沢さが。

日曜日そうだったんです。

そんなのすぐやれちゃう。

鳥取ってのはカネはないけどえらく贅沢が出来るところですよ。

ほんと、そう思うで。

先月の26日元自民党国会議員の野中広務氏が亡くなりました。92歳。

多くの議員には別段気にもしてないのだけれど、この人にはなにかずっと気になっていたものがあるんです。

それは自民党なのに憲法9条の改憲には反対だとの意見を持っていたからです。

自民党というのは改憲が目的のはず。がこの人はそうじゃなかった。

それで、ウイキペディアを調べてみたんです。

気骨のある人ですよ。これは。湾岸戦争の時には自衛隊派遣に反対。実際に戦争を知る人だからこその反戦ですよ。

「戦争がどれだけ深い傷跡を国内外に残したか、もっと謙虚にあの時代を検証してほしい。」と言葉を残してる。

重度身体障碍者の施設を運営してたりもしてますし、とにかくウイキペディアを読んでみてください。

さらにはもう一度憲法9条を読んでみてください。

野中氏は「政治家の役割は戦争をしないこと」と言っているんですが、さて、我々はどうしたらいいのだろうかと、思う。

 

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