今日は組合の長老の葬式へ行ってきました。
すると菓子組合総会でも会うことがなかった組合員に数年ぶりに会ったりして、なんとも、です。
さて、乙女峠です。
広場です。
マリア像があり、その前に檻の中に人。
池とか、そして小さな教会があるんです。
ここでキリシタンが拷問を受けたんです。
なんと、この平和そうな津和野でですよ。
この画像を是非クリックしてください。
いきさつが書いてある。
この碑の文章に補筆すると、ベルナール・プティジャンが1864年に大浦天主堂を建立するんです。
徳川幕府も外国人にはキリスト教を許したのです。
が、これが隠れキリシタンを表ざたにするきっかけとなり1867年に浦上村の信徒たちが捕縛されて拷問を受けるきっかけとなるんです。
そして井上馨、木戸孝允も関係するのですが、結局信徒たちを明治政府も幕府の弾圧を引き継いで流罪としたようです。
津和野、萩、福山と流されて大変な拷問を受けたようです。
これには欧米から大変な非難が出てくるわけで、結局はその影響で禁教令は解かれるのですが、3394名のうち662名が落命したとのことです。
この時仏教界はこれをとめなかったどころか、新政府におもねっていった動きもあったとのこと。
生き残ったしんとたちは1879年(明治12年)浦上へ聖堂(浦上天主堂)を建てたとのことです。
小さな教会ですよ。
歴史が変わる、徳川時代と明治の時代との隙間の犠牲者かもしれません。
こういう権力者側が弱者にたいしての拷問とかは歴史にたくさんあるんですが、人間の、いきものの、本能に根差すものなんでしょうかねぇ。
三尺牢が摸してあります。
なんでかしらんが、人はそんなに来ないと思うこの場所に電話ボックスがあるんです。
なんでだ?
NTTがここに公衆電話を設置しても利益が上がるとは思わない。
で、今度はくだりですよ。
暖かいスノーシューズがたよりですよ。
結局誰にも人に会わなんだ。
で、鳥取に帰ってからも、観光ポスターにある鯉ではなく、古い建物ではなく、結局この地が一番印象に残ることとなってしまいました。
さて、下りも終わるころ、「うどんを食べないけん。」と女将。
新鮮な空気と山登りの影響か、食欲がでてきたようで、一歩一歩の積み重ねが「うどんを食べる」というデシジョン(決定)をつくったようです。
だが「スーパーおき3号」の中でおにぎり2個たべてるし、ふだん腹が出るからと朝食を抜こうとしてるのに、津和野は腹がへるようです。
しかも午後の3時半過ぎです。
うどんの、その前に源氏巻きを買わねばならない。
で、元の道を引っ返して踏切をわたり、和菓子店へ向かったのです。
つづく。